§2.定式α→β、あるいは複数の枠組み間の変遷について
概念空間論には、最上位に位置付けられる原理がある。それは次のように定式化されている。
α→β
この定式表現は、本書あるいは概念空間論のすべての記述・内容を包摂する表現でもある。以下では、この定式についてまず箇条書きにより要点をまとめて提示し、その後に敷衍していくことにする。
Ⅰ.α→βの一般原理
①定式α→βは、あらゆる認識の変遷可能性を形式的に表現する式である。
②定式α→βは、R→R´を包摂し、認識の生成性、あらゆる認識状態の変遷可能性を表現する。
③定式α→βは、α→α´あるいはβ→β´を包摂する。
④定式α→βは、特定の認識状態βに到達することを目的として表現するものではない。
①~④について
①について:
α→βは、認識の生成・変化の変遷可能性を保持する保存式である。認識の生成性、変容性、再編成可能性を、最も抽象的な形式によって表現したものである。何か特定の認識状態を表現するのではなく、むしろ「遷移しうる可能性そのもの」を保存する。すなわち、認識を一つの状態や枠組みに絶対的に固定化したり閉じることなく、そこから別の状態や構造や枠組みへと移行し得る可能性を維持するのである。この意味において、α→βは、認識の生成性、変容可能性、構造的可塑性、再編成可能性を保持する原理として位置づけられる。概念空間論の最大の目的は、最上位の原理であるα→β、認識構造の変遷可能性を保持することを、抽象的なレベルでモデル化したうえで、実践的なレベルにおける体系的な思考様式、システムとしても実現することにある。
②について:
定式α→βは、R→R´を包摂する。記号Rは、(人間=モナド的観点にとっての)何らかの認識状態を表し、R→R´は、認識というものの生成性、持続的な運動や変化および生成規則を簡潔に表したものである。すなわち、ある認識状態と、それとは異なる状態との関係を抽象化して示したものである。この認識状態Rは、持続的な時間経過の中で生成し変化していくものである。認識状態Rが持続的に変遷する過程を考え、特定の瞬間を幾つか切り取って並べると、Rの系列(…Ra、Rb、Rc、Rd、Re…)が考えられる。認識状態Rの系列では、どの瞬間を切り取っても、また異なる状態へと変遷していく。そのため、この認識の変容過程をすべて包摂するかたちで抽象化すると、R→R´と書くことができる。R→R´は、認識状態の生成式または遷移式である。ただし、この遷移式は、時間経過における認識の生成という含意が強く、また「認識は変化する」ということを述べているに過ぎない。
α→βという定式は、①で示されたように、認識の変遷可能性を形式的なレベルで保持する表現である。α→βは、時間的あるいは持続的なR→R´も含むが、時間に関係なくあらゆる認識構造の変遷の可能性を含み、つねに変遷可能性が開かれ、決して閉ざされることなく、その変遷可能性そのものを形式的に保存する式である。
③定式α→βは、α→α´あるいはβ→β´を包摂する。α→βは、それが認識され識別される限りあらゆるα→α´あるいはβ→β´のような微細な変化も含み、必ずしも完全に異なると区別されるような認識状態や構造を表す訳ではない。そして特にβ→β´は、特定の認識状態や認識構造βを、そこに到達した時点で固定される終点や完全な目的地として示すものではない。α→βにおいて、α→βへの移行が起こったとしても、βは新たにαの位置に移り、さらに別のβへと移行し得る。定式α→βは、特定の認識状態βに到達することを目的として表現するものではない。
・・・
Ⅱ.実践的なα→β――既知の枠組みαから未知の枠組みβへ
定式α→βを実践的に扱うために、ここで「枠組み」について考えたい。諸々の概念のグループから形成され、人間の思考プロセスにおいて運用される、体制化された構造やまとまりのことである。この枠組みは、実践的な思考・認識・問題解決プロセスに関係し、重要な役割を果たすことになる。ここで次のような複数の枠組みのグループ、あるいはその系列を考えてみよう。
【枠組みa、枠組みb、枠組みc、枠組みd、枠組みe…】
ここで定式α→βを、次のように展開して書き換えてみよう。
枠組みα→枠組みβ
この新しい定式、枠組みα→枠組みβは、この定式について十全に解釈するためには、まずこれらが持ちうる意味を考える必要がある。
【枠組みa、枠組みb、枠組みc、枠組みd、枠組みe…】
枠組みα→枠組みβは、この複数の枠組みの系列における、各枠組み同士の関係性を含む変遷可能性を保存する表現である。
ただし、ここで扱うのは概念的な思考およびそれによって接近可能な問題に限られる。
さらに、既知の枠組みα→未知の枠組みβという定式には、
ここで複数の枠組みのグループを考えると、これらは相互に多様な関係性を持ちうることが分かる。
【枠組みa、枠組みb、枠組みc、枠組みd、枠組みe…】
この系列を辿り変遷していくとき、各枠組み同士の間には、多様な関係性が考えられる。継承、修正、統合、対立、並列、無関係などの関係性がある。
以下では定式、枠組みα→枠組みβについて、先ほどの箇条書きを参照しつつ各項目①~④を再度参照しつつ、実践的な次元に落とし込み再解釈していく。要点を箇条書きでまとめると次のようになる。
①枠組みα→枠組みβは、既知の枠組みαから未知の枠組みβへの移行や変遷可能性を表現する。
②枠組みα→枠組みβは、枠組みα→α´または枠組みβ→β´を包摂する。
③枠組みα→枠組みβは、特定の枠組みβに到達することが目的ではない。
④枠組みα→枠組みβには、絶対的な固定的評価を付与することはできない。
既知の枠組みα→未知の枠組みβ
※枠組みの種類の事例;ここでいう「枠組み」の具体的な種類としては、多様なものが考えられる。たとえば、比較的抽象度の高いものとして、学問的な理論、宗教的な教義、また日常生活における物事の見方や、個人が保持している価値観も、一定の構造をもつ限り、枠組みとして扱うことができる。
※補足;R→R´
認識状態の生成性R→R´
定式α→βの含意を明確にするため、ここで次の式R→R´を取り上げてみよう。
R→R´は、認識の生成性、持続的な運動や変化を表現する式である。記号Rは、何らかの認識の状態であり、R´はそれと異なる新しい状態である。すなわち、R→R´は、ある認識状態とそれとは異なる状態との関係を抽象化して示した生成式または遷移式である。ここでR→R´については、まず持続的な時間経過に沿って変遷していくものと考えても構わない。そしてα→βについてこのR→R´をもとに解釈してみよう。α→βは、認識の変遷可能性そのものを開きかつ保持するための表現であった。それに対して、R→R´は、基本的に「認識は持続的に変遷していく」ことを述べているに過ぎない。R→R´は認識構造の変遷可能性そのものを保存しうる表現ではないため、区別が必要である。
Ⅲ.複数の枠組みの関係性
●枠組み同士の関係――統合
複数の枠組みαとβは、抽象性の次元が異なる場合に統合されることもある。相互に親和性があり結び付くこともある。新しい枠組みγを形成することもある。まったく関係がないこともある。
●枠組み同士の関係――対立
複数の枠組みは、相互に相いれない条件を含み、対立することもある。
枠組みの系列を辿ると、どこかで必ず対立構造が現れる。
※一つの枠組みあるいは複数の枠組み間の関係性もまた、モナド的観点による認識に過ぎないものではある。そのため、複数の枠組みの関係性(例;「これらは相互に相容れない」)とはより高次の枠組みによって、相対的に低次の位置にある複数の枠組み間の矛盾が、消失することもある。
※事例;典型的な事例として、天動説→地動説、のようなパラダイム・シフトの事例がある。
①について:
変化、認識(構造)の生成性、認識構造の変遷可能性、持続的な変容性、あるいはその保持、認識構造の再編成可能性を示す生成規則 、●認識構造の可塑性、構造的な移行や変化を表現する。
本書の目的は、概念空間論という体系を、この「複数の枠組み間の変遷可能性の保持すること」を実現するメタ的なモデル・システムとして提示することにある。このように複数の枠組みの間での変遷可能性を保持する体系を構築することが、概念空間論とは、
概念空間論において重要なのは、特定の認識内容や理論を最終的なものとして固定することではなく、複数の枠組みの間を遷移できる可能性を保持することである。
ある枠組みαを絶対化すれば、その枠組みの外部にある認識可能性は閉ざされる。しかし、αを一つの枠組みとして相対化し、そこから別の枠組みβへと移行する可能性を開いておけば、さらにβを相対化し、別の枠組みへと移行することも可能になる。したがって、概念空間論は単に「すべては相対的である」と主張する相対主義ではなく、相対化によって一つの枠組みへの固定を解除し、その先にさらに新たな認識の生成可能性を開いておくためのメタ的なシステムとして捉えることができる。
②について
定式α→βは、既知の枠組みα→α´あるいは未知の枠組みβ→β´も含む。
極端に対立する枠組み同士ではなく、既知の枠組みαの微細な修正、情報の付加や消去、局所的な変更、部分的な再編成、新たな観点による全体理解、概念間の接続関係の組み替え、視点のわずかな転換などがある。
③について
①と②より、α→βは、特定のβに到達すること自体を目的とする定式ではない、ということも明らかだろう。
②で示されたように、枠組みβには、異なるβ´がある。この定式は、いかなる文脈においても、特定の枠組みβを最終的な目的地としてあらかじめ指定するものではない。
α→βが表現するのは、どのような認識状態や枠組みが現在存在しているとしても、そこから別の認識状態や枠組みへと移行しうる可能性である。したがって、この定式が形式的に保存するのは、特定のβへの到達ではなく、認識の生成性および、複数の枠組み間の変遷可能性である。α→βは、いかなる枠組みαやβがあるとしても、その認識の生成性や変遷可能性を表現する。
したがって、この定式に照らす限り、特定の枠組みの絶対化の阻止、相対化する力、しかしそれに留まらず認識の生成性を維持する力を示す。
そのため、さらに、ここで評価や価値基準の問題が現れる。
この定式において、既知の枠組みが必ず間違っている訳でもない。未知の枠組みが必ず正しい訳ではない。
未知の枠組みβとは、特定の「正しい枠組み」を意味するわけではない。ましてや、特定の未知の枠組みβが、つねに正しい、より優れている、あるいは最終的に採用されるべきだと主張するものでもない。
枠組みと認識:枠組みとは、モナド的観点にとって完全に「客観的」に存在する訳ではない。認識することなく、枠組みが獲得・形成されたり理解されることはないため、ここでいう枠組みとは、むしろ「認識上の枠組み」(認識された枠組み)と理解する方が分かりやすいかもしれない。どのように認識があるとしても、ほんのわずかな修正も許さないような枠組み理解は恐らくない。どのような枠組みであっても、そこに一切の修正や再解釈を許さない絶対的な固定性を付与する必要はない。またそれが永遠に固定され、いかなる修正も許さないものとして理解される必要はない。枠組みは、特定の目的や文脈において安定的に運用される必要がある一方で、必要に応じて修正・再解釈・再編成されうるものとして保持されるべきである。〇
Ⅳ.α→βと思い込み、認識の変化
α→β、あるいは既知の枠組みα→未知の枠組みβという表現において、中心にある矢印の記号「→」は、認識の変化や遷移を表現している。
既知の枠組みα→未知の枠組みβという移行するとき、大小の多様な認識の変化が起こる。
既知の枠組みα→未知の枠組みβという構造において、思い込みは隠れた因子として、新しい認識の変化が生起することに抵抗する。しかし裏返せば、この定式に照らせば、思い込みとは単に自由さを阻害する「悪いもの」なのではなく、むしろ積極的に理解できれば、認識の変化を引き起こすことができる契機であることが明らかになる。
Ⅴ.α→βと問題解決
われわれは認識なしに問題に直面することはないからである。問題解決のプロセスでは、
認識状態R→R´
という変化を伴う。
●問題解決の条件
定式α→βは、モナド的観点にとって、問題解決を可能にする重要な条件の一つを表している。
特に、問題系あるいは複雑で困難な問題の解決プロセスにおいては、複数の枠組みの間を変遷できることが重要になる。ただし、ここでいう問題とは、原理的に概念的な思考によって接近しうるものを指す。すべての問題が、枠組みの変更だけによって解決できるわけではない。
現在の枠組みαに、問題を解決するために必要な概念や関係性がすでに十分に含まれているなら、その問題はすでに解決に至っているはずである。問題が解決されていないということは、現在の枠組みだけでは、問題を把握し、説明し、操作するための概念や関係性が不足している可能性を示している。
そのため、問題解決においては、現在の枠組みを疑い、別の概念や観点を導入し、必要に応じて新しい枠組みを形成することが求められる。この過程は、次のように表現できる。
既知の枠組み α→未知の枠組み β
それでも、概念的な思考が有効な問題においては、複数の枠組み間の変遷可能性を保持することが、問題解決の重要な条件となる。
問題解決とは単に既存の認識の中から答えを取り出すことではなく、必要に応じて認識そのものを変化させる過程でもある。特に複雑な問題においては、一度の大きな転換だけでなく、小さな認識の変化が連続して生じ、それらが積み重なることによって、最終的な問題解決へと至る場合がある。この意味で、既知の枠組みαから未知の枠組みβへと移行する可能性を保持することは、問題解決における重要な条件の一つとなる。
問題解決における枠組みの評価
※特定の文脈において「適切な枠組みβ」は確かにある。ここでは問題解決プロセスについて考えてみよう。
ある問題を解決しうる未知の枠組みβは、その問題を解決しうるという文脈において「正しい枠組みβ」ではある。
この定式表現α→βは、必ずしも、完全に異なる枠組みを指示している訳ではない。
概念空間論におけるα→βとは、特定のβを唯一の答えとして提示する式ではない。それは、いかなる認識状態や枠組みにおいても、別の認識状態や枠組みへ移行しうる可能性を保存する、認識の生成規則である。
以上を最も抽象化して表現したものが、α→βである。 それは「αからβへ行かなければならない」という命令でも、「βが正解である」という規範でもない。むしろ、αが固定された終点となることを防ぎ、βを新たなαとしてさらに変化させる可能性まで含めて、認識構造そのものの可塑性を保持するための原理である。したがって、α→βの本質は、ある特定の認識を獲得することよりも、認識がつねに別の認識へと変容し得るという生成的な構造を維持することにある。
枠組みαと枠組みβとの関係は、必ずしも単純な対立関係ではない。 二つの枠組みの間には、統合、継承、修正、対立、並列、無関係など、さまざまな関係が成立し得る。また、ある二つの枠組みが対立しているように見える場合でも、それらをさらに上位の枠組みから捉え直すことによって、その対立そのものを相対化できる場合がある。したがって、α→βは、単純に「一つの考えを捨てて別の考えへ移る」という意味ではなく、認識を構成している枠組みそのものを変形・再編成しながら、新たな認識構造を形成していく運動形式として理解される。
問題解決においても、α→βは重要な意味をもつ。 そもそも問題は、認識なしに成立するものではない。ある認識状態Rにおいて問題として現れていたものが、認識の変化R→R´によって別のものとして理解されることがある。したがって、
これまでの記述により、概念空間論の原理の定式表現α→β、および既知の枠組みα→未知の枠組みβについて概観できたと思う。次にこの定式表現が、各章においてどのように位置づけられるかを確認しよう。
●第1章;思考の自由さ
第1章1節では、思考の自由論が展開される。α→βという定式表現は、自由な思考の運動を形式的に表現するものであり、また「思考の自由さ」という理念をより抽象化したものでもある。自由な思考とは、認識の生成性および複数の枠組み間の遷移可能性を保持することであり、原理的に与えられる可能性の中で、最大限の可能性を求めるものでもある。そしてそれはα→βという式に集約される。α→βにより、認識の変遷可能性が開かれた。
ここでようやく、革新的な認識の変化について述べることができる。
●第2章;概念の集合G
定式表現α→βは、無限に多様な概念の集合Gを含む。諸概念のグループは、枠組みのグループを形成する。そのため、無限に多様な概念の集合Gは、実践的には、既知/未知の枠組みの系列あるいはグループとして考えられる。
●第3章;認識表現モデル
第3章では、認識表現モデルの概要が示される。α→βは、この認識表現モデルの運動全体を含むが、特に遷移度/明瞭度の機構を包摂する。あるいは集約される。
これを敷衍したときの形のひとつが、遷移度/明瞭度の機構である。
●第4章:
第4章では、未概念法という、新しい概念を連続的に創造し、問題解決を図る方法論を提示する。
定式表現α→β、あるいは既知の枠組みα→未知の枠組みβは、認識の生成規則や認識構造が変遷していく運動を表現するが、未概念法は前述の遷移度/明瞭度の機構を、特殊な方法によって駆動しつつ、この運動を強力に推進・加速する方法になっている。
本書の主題は「複数の枠組み間の変遷」という考え方であり、次のように定式化できる。
既知の枠組みα→未知の枠組みβ
このように複数の枠組みの間での変遷可能性を保持する体系を構築することが、概念空間論とは、最上位原理としている。
●枠組みとは
「枠組み」とは、諸々の概念のグループから形成され、人間の思考プロセスにおいて運用される、体制化された構造やまとまりのことである。
●複数の枠組みのグループ
【枠組みa、枠組みb、枠組みc、枠組みd、枠組みe…】
●式の意味・解釈
この定式は、次のような意味をもつ。
①既知の枠組みから未知の枠組みへの構造的な移行や変化を表現する。
②認識(構造)の生成性、認識構造の変遷可能性、持続的な変容性、あるいはその保持
平たく言えばパラダイム・シフトの構造を表している。
●未知の枠組みβ
未知の枠組みβとは、「正しい枠組み」を意味するわけではない。
この定式表現は、特定の未知の枠組みβに到達することが重要だと述べているのではなく、どのような枠組みに到達するとしても、つねに変遷可能性を保持することを、形式的に表現している。
※特定の文脈において「適切な枠組みβ」は確かにある。ある問題を解決しうる未知の枠組みβは、その問題を解決しうるという文脈において「正しい枠組みβ」ではある。
●既知の枠組みα→α´について
この定式表現は、既知の枠組みα→α´もまた、この定式表現に含まれる。
この定式表現は、必ずしも、完全に異なる枠組みを指示している訳ではない。
極端な断絶だけではなく、微細な修正、局所的な変更、部分的な再編成、概念間の接続関係の組み替え、視点のわずかな転換などがある。α→α´を含めることで、変遷のスケールをあらかじめ開いている。
➡●認識構造の生成性の維持
●
※未知の枠組みが必ず正しい訳ではないし、既知の枠組みが必ず間違っている訳でもない。
しかし、どのように認識ががあるとしても、ほんのわずかな修正も許さないような枠組み理解は恐らくない。
●枠組み同士の関係――統合
複数の枠組みαとβは、抽象性の次元が異なる場合に統合されることもある。相互に親和性があり結び付くこともある。新しい枠組みγを形成することもある。まったく関係がないこともある。
●枠組み同士の関係――対立
複数の枠組みは、相互に相いれない条件を含み、対立することもある。
事例;天動説→地動説、のように。
もちろん、複数の枠組みの関係性(例;「これらは相互に相容れない」)とはモナド的観点による認識に過ぎず、より高次の枠組みによって、相対的に低次の位置にある複数の枠組み間の矛盾が、消失することもある。
●認識の変化
既知の枠組みα→未知の枠組みβという移行するとき、大小の多様な認識の変化が起こる。
●問題解決の条件
この定式表現は、モナド的観点にとって、問題解決の最大の条件を表現している。特に問題系や最も困難な問題の解決は、
●
定式表現は、無限に多様な概念の集合の扱い方
遷移度/明瞭度の機構、特に遷移度/明瞭度の変化を内包する。
●認識構造の可塑性
われわれは認識なしに問題に直面することはないからである。
●思考の自由さ
この定式は、自由な思考の運動を、形式化した表現でもある。
原理的に与えられる可能性の中で、最大限の可能性を求める限り、思考の自由さについて考えなければならない。
§3.原理の次元について
原理の次元というものが、確かに存在する。この原理の次元について、ひとまず諸々の原理が組み合わせされできたものである、と考えてみよう。概念的な理解に依る限り、対象を切り分けることなく何かを解明したり表現することはできないからである。このとき、直ちに次のことを推量できる。原理が原理として存在するための条件のひとつは、恐らくほかの諸原理と調和することだろう、ということである。というのは、ある原理を考えたとき、もしそれがほかの諸原理に完全に反するならば、それは世界の成立条件をなすものになりえず、諸原理のグループに組み入れられないからである。そのため、原理の次元とは、ある互いに調和のとれた原理のグループが統合されて形成された次元として考えることができる。
原理とは、素朴に考えるなら、あらゆるものを生成しかつ支配する一般法則である、と言ってよいだろう。例えば、既に解明されている自然法則は、この原理の次元に含まれる。ただ、この原理の次元について、さらに深く理解するためには、次の考え方も重要になるだろう。原理とは、潜在的な可能性/不可能性を規定する条件でもある。これは原理的に可能なことは、確率的に生起するし、原理に反することは決して起こらない、ということである。またわれわれに何かが与えられるとすれば、それは原理に基いている、という意味でもある。これは重大な事実あるいは原則である。われわれが認識しうる限り、何ものもこの原理の次元から外れたり、逃れることはできない。
原理の次元について、より深い層に降りながら考えていくと、幾つかの重要な主題が現れてくる。
すべてがそこに帰着するのではないかと感じるほど重大なある主題――問題とは何か、なぜわれわれにとって問題は現れるのか?――に至ることになる。そしてまた原理の次元から、認識の問題についても導かれる。われわれは認識することなしに問題に直面することはできないからである。
本章§3(第3節)において扱うことにしよう。そしてこの主題に関連して、
思考の問題についても考えざるを得なくなる。本節でこれから取り上げる「思考の自由さ」という主題は、この原理の次元と深く関わっている。本書の体系である概念空間論の背景に、思考の自由論が含まれるのは、理由がある。原理の次元について考える限り、自然とこの主題が導き出されるのである。
モナド的観点にとって、問題解決の最大の条件とは何であるか?
この原理の次元から照らせば、思考とは、われわれ人間に与えられた可能性のひとつとして理解できる。確かに、われわれは思考しており、もし原理的に、いかなる可能性をも与えられないならば、思考することも、それを望むことも不可能だっただろう。しかし、思考が与えられた可能性であるというのは、決して楽観的な意味で述べている訳ではない。というのも、われわれは思考を強いられているのであって、無制約に自由に思考している訳ではないからだ。このことを見落としてしまうなら、思考について何一つ理解できていないことになる。
原理的に与えられる可能性の中で、最大限の可能性を求める限り、思考の自由さについて考えなければならない。
複数の枠組み間の変遷、認識の構造の可塑性の維持・保持という結論になる。これは次のように定式化できる。
既知の枠組みα→未知の枠組みβ
問題の普遍的な解決条件について考えるとき、認識および思考の構造や条件を抜かすことはできない。というのは、われわれは認識なしに問題に直面することはないからである。
この世界について解釈しようとするとき、こうした原理の次元についての理解が重要になる。例えば、人生において何かどうしても受け入れ難い出来事が起きたとしよう。しかし、自分の信念体系に反していようと、それが生起しているならば、確実に原理に従っているはずである。さらに自分にとって拭い難い苦しみが存在したり、望ましくない出来事が、執拗と感じるほど繰り返し起きるとしたらどうだろうか?その出来事は「間違っている」のだろうか。だが繰り返し生起する出来事の背景には、未知の法則が存在し、何か意味があるのではないだろうか。原理に反していないからこそ生起している出来事について、これはあり得ないはずだ、これは起こるべきではなく、間違っていると考えてしまうなら、それは信念体系を疑ってみなければならないだろう。
はじめに――本稿の目的
なぜなら問題はあいかわらず折ること、折り目を広げること、折り畳むことだからである。
――――ジル・ドゥルーズ『襞』
一枚の布地が存在し、ただそれだけが自身に与えられていると/状況について考えていただきたい。この布地には不思議な特性があり、無限に折り畳む/折り目を開くことができる。この布地には、砂でできた本のように終わりがない。この布地はまた、読者のあらゆる認識――物事についての捉え方――と深く繋がっており、それゆえ布地を折り畳み、あるいは折り目を開くたび、読者が眺めている景観は遷り変わってしまうのである。このような布地があるとすれば、それを固有の形態から完全に覆すことができたとき、これまでに一度たりとも経験したことがないような、「世界がひっくり返る」ほどの大きな変化を体験できるだろう。しかし、この布地を覆すためには、それと引き換えにある代償を払わなければならない。それは自分がこれまでに信じてきたことをすべて、捨て去らなければならない、というものである。あらゆる常識、あらゆる正しさ、あらゆる信念、敬虔な信仰でさえ――。果たして読者は、この布地の形を変えることを、本気で望まれるだろうか。
本書で描かれるのは、このような認識の構造を概念的思考によって覆すための方法である。本書の目的は、概念空間論という体系について概説することにある。概念空間論とは、概念の集合(概念のグループ)を扱う体系的な枠組みであり、また物事について、途方もなく自由で創造的な思考を展開するための思考様式でもある。
本書の内容や記述は、どの頁を開いても、なにか異様なものと映るかもしれない。主題が少し特殊なものであるために、このような可能性は十分に考えられる。そのため、以下では本書を読むうえでの困難さを幾らか取り除くように努めたい。この書物の目次にある章節のタイトル――参照平面、認識表現モデル、未概念法など――は、概念空間論を構成するパーツ(部品)を表している。そのため、本書を読み進めることで、これらのパーツから全体を組み立てることができる。また本書全体で最も重要なのは「複数の枠組み間の変遷」という表現であり、次のように定式化されている。
既知の枠組みα→未知の枠組みβ
「枠組み」とは、諸々の概念のグループから形成され、人間の思考プロセスにおいて運用される、体制化された構造やまとまりのことである。この式は、既知の枠組みから未知の枠組みへの移行を、平たく言えばパラダイム・シフトの構造を表しており、この移行のなかでこそ、大きな認識の変化が引き起こされるのである。
書物を読むということは、何らかの変化を、自分の中で引き起こすことではないだろうか?たとえそれがどんな類のものであれ、いかなる帰結を齎すとしても…。ほんのわずかな変化すらも恐れ、拒絶してしまうとしたら、読むことなど不可能ではないだろうか。そして思考するということは、本当は自分の正しさを手放し、信じていることに亀裂を生じさせ、新しい考え方に至ることではないだろうか。裏返せば本来的に、書物を読むことも、思考することも、新しい変化を引き起こすことを、肯定することではないだろうか。
認識の布地を覆すことは、容易ではない。なぜなら、そのためにはまず自分の中にある教義(ドクトリン)を捨て去らなければならないからだ。自由に思考することによって、新しい認識の変化を引き起こすことは可能である。しかし厄介なことに、こうした認識の変化が、どのような報酬を与えてくれるかも、支払う代償に見合うものであるのかも、前もって知ることはできない。しかし、それでも自身の内側における新しい変化を肯定し、新しい変化を引き起こしたいと望む人々のために、この本は書かれている。
こうした主題を扱うがゆえに、本書には次のような特徴がある。第一に、本書は特定の考えを提示するものではないということ。「ひとつの考え方」を提示するのではなく、複数の考え方の切り替えの可能性について検討している。「ひとつの体系」を構築するが、それは無数の枠組み間を自由に遷移していく過程をモデル化したものになっている。第二に、本書は一般的な著作と異なり、何らかの正しさを主張するものでもない。この体系は「論」と銘打ってはいても「理論」ではなく、認識の構造が、つねに複数の枠組みの間で変遷できる可能性を保持することを、最大の目的としている。したがって本書では、著者が正しいと信じることを示している訳ではなく、ただ思い込みを疑うことの重要性とその方法論・モデルについて述べるものなのである。この意味において、本書は読者自身の認識の鏡として機能しうるだろう。
本書で描出したのは、新しい思考のスタイルを始めるためのモデル装置である。この装置の至る所に、思い込みに囚われない思考を実践するための仕掛けが施されている。すべては際限のない距離の隔たりと暗がりの中で、それでも歩み続け、思い込みから解放された果てにある深さの領域に到達し、すべてを肯定しうるほどの新しい認識の変容の可能性を拓くためである。本書が読者にとって、認識の中でまったく新しい出来事を生起するきっかけとなるような自由な書物になれば幸いである。
はじめに――本稿の目的
なぜなら問題はあいかわらず折ること、折り目を広げること、折り畳むことだからである。――ジル・ドゥルーズ『襞』
一枚の布地が存在し、ただそれだけが自身に与えられていると、考えていただきたい。この布地には不思議な特性があり、無限に折り畳む/折り目を開くことができる。この布地には、砂でできた本のように終わりがない。この布地はまた、読者のあらゆる認識――物事についての捉え方――と深く繋がっており、それゆえ布地を折り畳み、あるいは折り目を開くたび、読者が眺めている景色は遷り変ってしまうのである。このような布地があるとすれば、それを完全に覆すとき、これまでに一度たりとも経験したことがないような、「世界がひっくり返る」ほどの大きな変化を体験できるだろう。しかし、この布地を覆すためには、代償を支払わなければならない。その条件とは、自身がこれまでに信じてきたことすべてを、捨て去らなければならない、というものである。あらゆる常識、あらゆる正しさ、あらゆる信念、敬虔な信仰でさえ――。果たして読者は、この布地の形を変えることを、望まれるだろうか。
本書で描かれるのは、この認識の布地を概念的思考によって覆すための方法である。本書の目的は、概念空間論という体系について概説することにある。概念空間論とは、概念の集合(概念のグループ)を扱う体系的な枠組みであり、また物事について、途方もなく自由で創造的な思考を展開するための思考様式でもある。
本書の内容や記述は、どの頁を開いても、読者にとって異様なものと映るかもしれない。主題が多少特殊なものであるために、このような可能性は十分に考えられる。そのため、以下では本書を読むうえでの困難さを幾らか取り除くように努めたい。この書物の目次にある各章のタイトル――参照平面、認識表現モデル、未概念法など――は、概念空間論を構成するパーツ(部品)を表している。そのため、本書を読み進めることで、これらのパーツから全体を組み立てることができる。また本書全体において、最も重要なのは「複数の枠組み間の変遷」という表現であり、次のように定式化されている。
既知の枠組みα→未知の枠組みβ
「枠組み」とは、諸々の概念のグループから形成され、人間の思考プロセスにおいて運用される、体制化された構造やまとまりのことである。この式は、既知の枠組みから未知の枠組みへの移行を、平たく言えばパラダイム・シフトの構造を表しており、この移行のなかでこそ、大きな認識の変化が引き起こされるのである。
書物を読むということは、何らかの変化を、自分の中で引き起こすことではないだろうか?たとえそれがどんな類のものであれ、いかなる帰結を齎すとしても…。ほんのわずかな変化すらも恐れ、拒絶してしまうとしたら、読むことなど不可能ではないだろうか。そして思考するということは、本当は自分の考え方を変え、「自分が信じる正しさ」を手放すことではないだろうか。裏返せば本来的に、書物を読むこと、思考することは、新しい変化を引き起こすことを、肯定することではないだろうか。
認識の布地を覆すことは、容易ではない。人生で最も困難なことのひとつに数え入れられるといっても過言ではないだろう。
自由に思考することによって、新しい認識の変化を引き起こすことは可能である。だが厄介なことに、こうした認識の変化が、どのような報酬を与えてくれるかも、支払った代償に見合うものであるのかも、前もって知ることはできない。しかし、それでも新しい変化を肯定し、新しい変化を引き起こしたいと望む人々のために、この本は書かれている。
このような主題を扱っているために、であることから、の特徴から、恐らく次の二点が挙げられるだろう。第一に、本書は特定の考えを提示するものではないということ。「ひとつの考え方」を提示するのではなく、複数の考え方の切り替えの可能性を主題としている。「ひとつの体系」を構築するが、それは無数の枠組み間を自由に遷移していく体系をモデル化したものになっている。第二に、本書は一般的な著作と異なり、何らかの正しさを主張するものでもない。本書では、著者が正しいと思うことを示している訳ではなく、ただ思い込みを疑うことの重要性とその方法論・モデルについて述べるものなのである。この意味において、読者自身の思考の鏡として機能しうるだろう。
本書で描出したのは、新しい思考のスタイルを始めるためのモデル装置である。この装置の至る所で、思い込みに囚われない思考を実践するための仕掛けが施されている。すべては、際限のない距離の隔たりと暗がりの中で、それでも歩み続け、思い込みから解放された果てにある認識の深さの領域に到達すること、すべてを肯定しうるほどの新しい認識の変容の可能性を拓くためである。本書が読者にとって、認識の中でまったく新しい出来事を生起するきっかけとなるような自由な書物になれば幸いである。
あとがき
世界は一冊の書物へと至りつく――ステファヌ・マラルメ
本書の執筆は、当初含める予定だった内容を幾つも手放すことでようやく終えることができた。具体的な項目として、「概念とは何か」という問題の哲学的な解明、≪bias≫論の詳細、明瞭度のより詳しい意味規定、概念関係式の説明、参照平面や未概念法の事例集などがある。このほかにも幾つもの項目の執筆を断念しなければならなかった。最大の理由は、筆者の私的な生活上の問題にある。率直に言うと、執筆作業は身体的に負担が大きく、身体が壊れていき、すべてを書き終えるまで体力が持たず力尽きてしまった。
不完全ながら本稿を何とか書き終えるまでの期間は、しかし筆者にとって新たな芽が育ち始めた時期でもあった。概念の研究は大方終わりを迎え、次のテーマとして曲線の問題に関心を寄せるようになった。既に新しい体系――転覆地図論の開発に取り掛かっている。この体系では、テキスタイル(認識の布地)という概念
同様に認識の変化に関するものだが、恐らく曲線を扱うものになると思われる。この研究も遅々として進まないが、本書からは零れ落ちてしまった内容を、いつか次の作品に含め/埋められたらとも思う。
書物のイデアは、<書くこと>によって至ることができる沈黙のなかにある。歴史の中で、このイデアは精神の響き、断片、倫理を回収しながら未来に向かって永遠に後退していく。この媒体は、最期のときまで精神に残されたものを引き取り、名を与え、静かに包摂してくれるがゆえに、書物はこの世に生を受ける訳だ。書くことは迂遠な砕かれた行為であり、書物は紐解かれなければ伝達しえないという固有の悲しみを纏っている。この悲しみのゆえに、書物は厚みをもつことになるのだろう。それゆえに書物はまた、絵画や音楽のような形式とは異なり、弁明と切り離すことができないのだろう。本書は悲しみの書ではないが、それでもやはり書物の形式からも運命からも逃れられる訳ではない。そのため、いずれ可能であれば加筆・改訂することを心に決め、これを弁明として筆を置くことにしたい。
本書の体系は、汎用的な思考の枠組みとして、できる限り公共的に役立てられることを目指したものである。しかし、これは筆者の個人的な目標に過ぎないもので、振り返れば、本書はやはり極めて私的な性格の色濃い不完全な書物だと思う。ともあれ、この体系は、何ものにも囚われない自由な思考の枠組みとして構想された。もし本書が思考の手引きとして読まれ、読者にとって永い使用に耐えるものになるとすれば望外の喜びである。
1.本書で主役を演ずるのは、「概念」である。しかし、既存の分野(哲学、数学など)に属する具体的な概念を取り上げる訳ではなく、「概念一般」を扱う方法を示している。
【概念α、概念β、概念γ、概念δ、概念θ…】
このような諸概念のグループや系列についての考察が、殆どの内容を占めている。
2.
諸概念のグループや系列を扱うのは、主として「」
書物を読むことは、諸々の概念や枠組みが、流れ込んでくることでもある。
著者は、過去十数年の間に、この認識の布地を、概念的思考によってのみ幾千回、幾万回と覆すことを、ひたすら繰り返してきた人間である。認識の変化を引き起こすことは、私の経験から率直にいうと、極めて難しい。
本書では、この原理の次元そのものについて考察することはできない。原理について考えることなしに、思考について考えることはできない。
すべてが原理に基づき、原理から生まれるならば、われわれに与えられた可能性としての思考についても、原理的な次元に遡って考える必要がある。原理の次元まで届かない限り、どのような主題について考えるとしても、本質的な理解は得られないだろう。では、原理の次元において、われわれに可能性として思考が与えられていることには、どのような意味があるだろうか?この問いに答えるためには、問題について解明しなければならない。思考することは、問題の認識なくしてあり得ないからである。つまり、問題を解くためにこそ、われわれは思考を巡らせるのである。このテーマについては、本章§3(第1章3節)問題論において扱うが、問題とは何か、なぜ、問題は現れるかを考えることにしよう。ここでは原理に基づいて考えると、§3で導入される、モナド的観点という用語に従うと、われわれはモナド的観点として存在するからである。
ここでようやく、本書において最も重要な問いの一つを示すことができる。
原理の次元というものが、確かに存在する。この原理の次元について、ひとまず諸々の原理が組み合わせされできたものである、と考えてみよう。概念的な理解に依る限り、対象を切り分けることなく何かを解明したり表現することはできないからである。このとき、直ちに次のことを推し量ることができる。原理が原理として存在するための条件とは、恐らくほかの諸原理と調和することだろう、ということである。というのは、ある原理を考えたとき、もしそれがほかの諸原理に完全に反するならば、それは世界の成立条件をなすものになりえず、諸原理のグループに組み入れられないからである。では、ある原理のグループが考えられ、それが全体として調和のとれた原理の次元を形作るとして、原理とはそもそも何であろうか。概念的な整理によって、ここでは二つの意味あるいは側面を区別して挙げてみよう。ただし、これは原理についての完全な整理ではなく、部分的なものに過ぎない。
第一に、原理とは法則である、と考えられる。この意味での原理とは、大まかに言って、あらゆるものを生成しかつ支配する法則である。このなかには、既に解明されている自然法則も含まれる。
第二に、原理とは、可能性/不可能性を規定する条件である、と考えられる。原理とは、潜在的な可能性の条件であり、不可能性の条件でもある。
原理に従う限り、可能なことは依然として可能であり、起こりうることは確率的に生起する。ところが、原理に反することは、決して起こりえない、不可能なものだろう。この意味で原理とは、われわれにとって、決してそれに反することも、逃れることもできない条件である。例えば、身体運動は、原理(物理学的、生理学的、神経科学的…)に従うものである。
原理の次元から照らせば、思考とは、われわれ人間に与えられた可能性のひとつとして理解できる。確かに、われわれは思考しており、もし原理的に、いかなる可能性をも与えられないならば、思考することも、それを望むことも不可能だっただろう。しかし、思考が与えられた可能性であるというのは、決して楽観的な意味で述べている訳ではない。というのも、われわれは思考を強いられているのであって、無制約に自由に思考している訳ではないからだ。このことを見落としてしまうなら、思考について何一つ理解できていないことになる。
すべてが原理に基づき、原理から生まれるならば、われわれに与えられた可能性としての思考についても、原理的な次元に遡って考える必要がある。原理の次元まで届かない限り、どのような主題について考えるとしても、本質的な理解は得られないだろう。では、原理の次元において、われわれに可能性として思考が与えられていることには、どのような意味があるだろうか?この問いに答えるためには、問題について解明しなければならない。思考することは、問題の認識なくしてあり得ないからである。つまり、問題を解くためにこそ、われわれは思考を巡らせるのである。このテーマについては、本章§3(第1章3節)問題論において扱うが、問題とは何か、なぜ、問題は現れるかを考えることにしよう。ここでは原理に基づいて考えると、§3で導入される、モナド的観点という用語に従うと、われわれはモナド的観点として存在するからである。
ここでようやく、本書において最も重要な問いの一つを示すことができる。
モナド的観点にとって、問題解決の最大の条件とは何であるか?
複数の枠組み間の変遷、認識の構造の可塑性の維持・保持という結論になる。これは次のように定式化できる。
既知の枠組みα→未知の枠組みβ
問題の普遍的な解決条件について考えるとき、認識および思考の構造や条件を抜かすことはできない。というのは、われわれは認識なしに問題に直面することはないからである。
原理的に与えられる可能性の中で、最大限の可能性を求める限り、思考の自由さについて考えなければならない。本書の体系、概念空間論の哲学に、思考の自由論が含まれるのは、そのためである。
本書では、この原理の次元そのものについて考察することはできない。
原理について考えることなしに、思考について考えることはできない。
■枠組みの集合と複数の枠組み間の変遷
■枠組みと枠組み化
■枠組みの集合
本書の主要なテーマは、複数の枠組み間を自由に移行・切り替え・変遷していくことである。次のように複数の枠組みのグループがあるとしよう。
【枠組みa、枠組みb、枠組みc、枠組みd、枠組みe…】
このような複数の枠組み間の移行や切り替えは、次のように書き表すことができる。
複数枠組み間の遷移:既知の枠組みα→未知の枠組みβ
このような複数の枠組み間を自在に変遷していくには、幾つかの条件がある。
①既知の枠組みαについて。思い込みを自覚し疑い外すこと。既知の枠組みを解体すること。
②未知の枠組みβについて。新しい枠組みを構築すること。未知の枠組みを再編成すること。
③
あいだを自在に移行することは、極めて困難なことだと言える。
・既知の枠組みから未知の枠組みへの移行・変遷
・問題解決プロセスでは、必要不可欠
・認識の変化、これは認識構造の解体&再編成によって、大きな認識の変容が起こる
しかし、それゆえに複数の枠組み間を移行することには、比類のない意義・価値がある。
■枠組みの分類――親和性
ここで枠組みを分類するため、新しい用語――親和性――を導入しておきたい。親和性とは、モナド的観点としての人間にとって、特定の枠組みが適合的であるかどうかを表す性質である。親和性には、高い/低いという二つの極があると考えてみよう。すると、ある認識主体S(特定の人物)が、ある特定の枠組みに接するとき、大きく2つの反応パターンが考えられる。
①親和性の高いパターン
認識主体Sは、特定の枠組みを受容する。この枠組みはK領域に遷移すると溶け込み、思考・認識・問題解決プロセスを規定し影響を及ぼす。
②親和性が低いパターン
認識主体Sは、特定の枠組みを拒絶する。この枠組みはK領域に遷移しても溶け込まず、①のパターンの枠組みとは反対の仕方で思考・認識・問題解決プロセスを規定し影響を及ぼす。
※親和性という用語は、枠組みを分類するために導入した、便宜的なものに過ぎない。
ここで親和性とは、どのように形成されるか、どのような仕組みがあるかは、問わない。
本書の目的は、複数の枠組み間の移行・切り替えのための体系・思考方法を提示することにある。
特定の認識主体にとっての枠組みとの親和性の詳細や仕組みの解明は、割愛する。
個体的な資質、価値観、学習や経験、バックボーン、帰属する共同体による影響など、
ここで二種類の枠組みAとBがあるとしよう。枠組みAは、Sにとって過去にK領域に溶け込んだ親和性の高いものであり、枠組みBは、Sにとって新しいが親和性が低いもので、しかも枠組みAとBは同時には両立できないものだと考えてみよう。
※もちろんこれはモデルに基づく新しい洞察を得るための仮定・実験であり、分かりやすい状況を想定したものなので、実際には既知の枠組みだからといって親和性が高いとは限らないし、未知の枠組みだから親和性が低いとも限らない。また当然ながら既知と未知の枠組みが反発せずに融和することもあるだろう。
まずこのケースにおける状況を整理すると、次のようになる。
ある認識主体Sにとって、既知の枠組みは過去に獲得されたものなので、それを構成する諸概念のグループの遷移度/明瞭度はある程度高い水準にあると考えられる。反対に、未知の枠組みはまだ獲得されていないので、それを構成する概念のグループの遷移度/明瞭度は相対的に低い水準にある。つまり、既知と未知の枠組みにおいて、遷移度/明瞭度は対照的な関係性にある。

このとき思い込みは、大きく分けて次のような二つの経路・パターンで作用すると考えられる。
順強化――既知の枠組みにおいて、思い込みは、自身の信念に合致する知識・情報に対して肯定的・受容的に働き、その枠組みをを強化するように機能する。さらに、ここでは暗黙的な枠組みへの確信を深めるような認識の変化が起こる。(確証バイアス的)
反強化――未知の枠組みに対して、思い込みは、自身の信念に反する知識・情報に対して排他的に働き、新しい枠組みを否定的・拒絶的(抵抗、不信など)するように機能する。そして、このとき認識の変容は起こらない。未知の枠組みを拒絶するとき、反動的に、既知の枠組みの正しさへの確信はさらに深いものになる(保守性バイアス的)
このように、思い込みは、親和性の高い枠組み/低い枠組みに対して異なる仕方で機能し、認識に二重の支配を及ぼすのである。
また第一の線分上において、このような概念量の変遷は、新しい枠組みの形成、あるいは複数の枠組み間のダイナミズム(融和、反発、統合、移行…)を伴うものでもある。
第三の線分では、新しい出来事が認識のなかで生起することによって、動点がシフトしていく。ただし、この認識という出来事は、量的なものに還元しえないから、これは便宜的な表現として理解してほしい。
ある認識主体が、新しい概念を獲得していくと、何が起きるだろうか?遷移度/明瞭度の機構を通じて、この過程を辿り確認してみよう。
このときある認識主体Sにとって、親和性の高い枠組みは、自然にSのK領域に溶け込み、広い意味で思考や認識の枠組みとして無意識的に活用されるだろう。ところが、親和性の低い枠組みは、SにとってのK領域に侵入するとしても完全に溶け込むことはなく、むしろ抵抗・反発を感じるまとまりとして意識されるだろう。
また実践的な思考の次元において、あるいは問題解決のプロセスにおいても、思い込みは複数の枠組み間の変遷を束縛するのである。
認識の変容は、第二の線分である遷移度/明瞭度の高まりに応じて、新しい出来事として生起してくる。ところが、Sにとって親和性が高い枠組みと低い枠組みが関わるとき、引き起こされる認識の変容は、まったく異なる感覚を伴うだろう。
この線分上の変化には、隠れた因子としての思い込みによる働きによって、しばしば強い抵抗が起こる。この抵抗すらも乗り越えられ、ある閾値を超えるとき、この遷移度/明瞭度の変化は、認識主体に新しい体験を齎すことになる。
過去に形成された因習的な認識の構成・構造はしばしば強い抵抗を示す。しかし、ある閾値を超えると、この旧い構造を維持していた概念同士の結び付きは組み替えられ、全体は瓦解し始めることになる。新しい関係性によって、暗がりの領域に光が照射され、隠れた因子としての思い込みは覆されることになる。こうして認識の変容が起こるのである。
これはポジティヴな側面を見ると、K領域を安定化させ、様々な認識が関わるプロセス全般に貢献すると考えられる。また、この思い込みや信念を伴う諸概念のグループは、思考プロセスにおいて運用できる思考の枠組みを形成するのである。そして、ここで重要な分岐が起こる。この認識主体Sにとって、思い込みや信念を伴う思考の枠組みは、何らかの意味や理由から親和性の程度(高い~低い)を考えられるだろう。

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