複数枠組み間の変遷

 

 

 

はじめに――本稿の目的

 

なぜなら問題はあいかわらず折ること、折り目を広げること、折り畳むことだからである。

――――ジル・ドゥルーズ『襞』

 

 一枚の布地が存在し、ただそれだけが自身に与えられていると/状況について考えていただきたい。この布地には不思議な特性があり、無限に折り畳む/折り目を開くことができる。この布地には、砂でできた本のように終わりがない。この布地はまた、読者のあらゆる認識――物事についての捉え方――と深く繋がっており、それゆえ布地を折り畳み、あるいは折り目を開くたび、読者が眺めている景観は遷り変わってしまうのである。このような布地があるとすれば、それを固有の形態から完全に覆すことができたとき、これまでに一度たりとも経験したことがないような、「世界がひっくり返る」ほどの大きな変化を体験できるだろう。しかし、この布地を覆すためには、それと引き換えにある代償を払わなければならない。それは自分がこれまでに信じてきたことをすべて、捨て去らなければならない、というものである。あらゆる常識、あらゆる正しさ、あらゆる信念、敬虔な信仰でさえ――。果たして読者は、この布地の形を変えることを、本気で望まれるだろうか。

 本書で描かれるのは、このような認識の構造を概念的思考によって覆すための方法である。本書の目的は、概念空間論という体系について概説することにある。概念空間論とは、概念の集合(概念のグループ)を扱う体系的な枠組みであり、また物事について、途方もなく自由で創造的な思考を展開するための思考様式でもある。

 本書の内容や記述は、どの頁を開いても、なにか異様なものと映るかもしれない。主題が少し特殊なものであるために、このような可能性は十分に考えられる。そのため、以下では本書を読むうえでの困難さを幾らか取り除くように努めたい。この書物の目次にある章節のタイトル――参照平面、認識表現モデル、未概念法など――は、概念空間論を構成するパーツ(部品)を表している。そのため、本書を読み進めることで、これらのパーツから全体を組み立てることができる。また本書全体で最も重要なのは「複数の枠組み間の変遷」という表現であり、次のように定式化されている。

 

既知の枠組みα→未知の枠組みβ

 

 「枠組み」とは、諸々の概念のグループから形成され、人間の思考プロセスにおいて運用される、体制化された構造やまとまりのことである。この式は、既知の枠組みから未知の枠組みへの移行を、平たく言えばパラダイム・シフトの構造を表しており、この移行のなかでこそ、大きな認識の変化が引き起こされるのである。

 書物を読むということは、何らかの変化を、自分の中で引き起こすことではないだろうか?たとえそれがどんな類のものであれ、いかなる帰結を齎すとしても…。ほんのわずかな変化すらも恐れ、拒絶してしまうとしたら、読むことなど不可能ではないだろうか。そして思考するということは、本当は自分の正しさを手放し、信じていることに亀裂を生じさせ、新しい考え方に至ることではないだろうか。裏返せば本来的に、書物を読むことも、思考することも、新しい変化を引き起こすことを、肯定することではないだろうか。

 認識の布地を覆すことは、容易ではない。なぜなら、そのためにはまず自分の中にある教義(ドクトリン)を捨て去らなければならないからだ。自由に思考することによって、新しい認識の変化を引き起こすことは可能である。しかし厄介なことに、こうした認識の変化が、どのような報酬を与えてくれるかも、支払う代償に見合うものであるのかも、前もって知ることはできない。しかし、それでも自身の内側における新しい変化を肯定し、新しい変化を引き起こしたいと望む人々のために、この本は書かれている。

 こうした主題を扱うがゆえに、本書には次のような特徴がある。第一に、本書は特定の考えを提示するものではないということ。「ひとつの考え方」を提示するのではなく、複数の考え方の切り替えの可能性について検討している。「ひとつの体系」を構築するが、それは無数の枠組み間を自由に遷移していく過程をモデル化したものになっている。第二に、本書は一般的な著作と異なり、何らかの正しさを主張するものでもない。この体系は「論」と銘打ってはいても「理論」ではなく、認識の構造が、つねに複数の枠組みの間で変遷できる可能性を保持することを、最大の目的としている。したがって本書では、著者が正しいと信じることを示している訳ではなく、ただ思い込みを疑うことの重要性とその方法論・モデルについて述べるものなのである。この意味において、本書は読者自身の認識の鏡として機能しうるだろう。

 本書で描出したのは、新しい思考のスタイルを始めるためのモデル装置である。この装置の至る所に、思い込みに囚われない思考を実践するための仕掛けが施されている。すべては際限のない距離の隔たりと暗がりの中で、それでも歩み続け、思い込みから解放された果てにある深さの領域に到達し、すべてを肯定しうるほどの新しい認識の変容の可能性を拓くためである。本書が読者にとって、認識の中でまったく新しい出来事を生起するきっかけとなるような自由な書物になれば幸いである。

 

 

 

はじめに――本稿の目的

 

なぜなら問題はあいかわらず折ること、折り目を広げること、折り畳むことだからである。――ジル・ドゥルーズ『襞』

 

 一枚の布地が存在し、ただそれだけが自身に与えられていると、考えていただきたい。この布地には不思議な特性があり、無限に折り畳む/折り目を開くことができる。この布地には、砂でできた本のように終わりがない。この布地はまた、読者のあらゆる認識――物事についての捉え方――と深く繋がっており、それゆえ布地を折り畳み、あるいは折り目を開くたび、読者が眺めている景色は遷り変ってしまうのである。このような布地があるとすれば、それを完全に覆すとき、これまでに一度たりとも経験したことがないような、「世界がひっくり返る」ほどの大きな変化を体験できるだろう。しかし、この布地を覆すためには、代償を支払わなければならない。その条件とは、自身がこれまでに信じてきたことすべてを、捨て去らなければならない、というものである。あらゆる常識、あらゆる正しさ、あらゆる信念、敬虔な信仰でさえ――。果たして読者は、この布地の形を変えることを、望まれるだろうか。

 本書で描かれるのは、この認識の布地を概念的思考によって覆すための方法である。本書の目的は、概念空間論という体系について概説することにある。概念空間論とは、概念の集合(概念のグループ)を扱う体系的な枠組みであり、また物事について、途方もなく自由で創造的な思考を展開するための思考様式でもある。

 本書の内容や記述は、どの頁を開いても、読者にとって異様なものと映るかもしれない。主題が多少特殊なものであるために、このような可能性は十分に考えられる。そのため、以下では本書を読むうえでの困難さを幾らか取り除くように努めたい。この書物の目次にある各章のタイトル――参照平面、認識表現モデル、未概念法など――は、概念空間論を構成するパーツ(部品)を表している。そのため、本書を読み進めることで、これらのパーツから全体を組み立てることができる。また本書全体において、最も重要なのは「複数の枠組み間の変遷」という表現であり、次のように定式化されている。

 

既知の枠組みα→未知の枠組みβ

 

 「枠組み」とは、諸々の概念のグループから形成され、人間の思考プロセスにおいて運用される、体制化された構造やまとまりのことである。この式は、既知の枠組みから未知の枠組みへの移行を、平たく言えばパラダイム・シフトの構造を表しており、この移行のなかでこそ、大きな認識の変化が引き起こされるのである。

 

 書物を読むということは、何らかの変化を、自分の中で引き起こすことではないだろうか?たとえそれがどんな類のものであれ、いかなる帰結を齎すとしても…。ほんのわずかな変化すらも恐れ、拒絶してしまうとしたら、読むことなど不可能ではないだろうか。そして思考するということは、本当は自分の考え方を変え、「自分が信じる正しさ」を手放すことではないだろうか。裏返せば本来的に、書物を読むこと、思考することは、新しい変化を引き起こすことを、肯定することではないだろうか。

 認識の布地を覆すことは、容易ではない。人生で最も困難なことのひとつに数え入れられるといっても過言ではないだろう。

自由に思考することによって、新しい認識の変化を引き起こすことは可能である。だが厄介なことに、こうした認識の変化が、どのような報酬を与えてくれるかも、支払った代償に見合うものであるのかも、前もって知ることはできない。しかし、それでも新しい変化を肯定し、新しい変化を引き起こしたいと望む人々のために、この本は書かれている。

 このような主題を扱っているために、であることから、の特徴から、恐らく次の二点が挙げられるだろう。第一に、本書は特定の考えを提示するものではないということ。「ひとつの考え方」を提示するのではなく、複数の考え方の切り替えの可能性を主題としている。「ひとつの体系」を構築するが、それは無数の枠組み間を自由に遷移していく体系をモデル化したものになっている。第二に、本書は一般的な著作と異なり、何らかの正しさを主張するものでもない。本書では、著者が正しいと思うことを示している訳ではなく、ただ思い込みを疑うことの重要性とその方法論・モデルについて述べるものなのである。この意味において、読者自身の思考の鏡として機能しうるだろう。

 本書で描出したのは、新しい思考のスタイルを始めるためのモデル装置である。この装置の至る所で、思い込みに囚われない思考を実践するための仕掛けが施されている。すべては、際限のない距離の隔たりと暗がりの中で、それでも歩み続け、思い込みから解放された果てにある認識の深さの領域に到達すること、すべてを肯定しうるほどの新しい認識の変容の可能性を拓くためである。本書が読者にとって、認識の中でまったく新しい出来事を生起するきっかけとなるような自由な書物になれば幸いである。

 

 

 

あとがき

世界は一冊の書物へと至りつく――ステファヌ・マラルメ

 

本書の執筆は、当初含める予定だった内容を幾つも手放すことでようやく終えることができた。具体的な項目として、「概念とは何か」という問題の哲学的な解明、≪bias≫論の詳細、明瞭度のより詳しい意味規定、概念関係式の説明、参照平面や未概念法の事例集などがある。このほかにも幾つもの項目の執筆を断念しなければならなかった。最大の理由は、筆者の私的な生活上の問題にある。率直に言うと、執筆作業は身体的に負担が大きく、身体が壊れていき、すべてを書き終えるまで体力が持たず力尽きてしまった。

 不完全ながら本稿を何とか書き終えるまでの期間は、しかし筆者にとって新たな芽が育ち始めた時期でもあった。概念の研究は大方終わりを迎え、次のテーマとして曲線の問題に関心を寄せるようになった。既に新しい体系――転覆地図論の開発に取り掛かっている。この体系では、テキスタイル(認識の布地)という概念

同様に認識の変化に関するものだが、恐らく曲線を扱うものになると思われる。この研究も遅々として進まないが、本書からは零れ落ちてしまった内容を、いつか次の作品に含め/埋められたらとも思う。

 書物のイデアは、<書くこと>によって至ることができる沈黙のなかにある。歴史の中で、このイデアは精神の響き、断片、倫理を回収しながら未来に向かって永遠に後退していく。この媒体は、最期のときまで精神に残されたものを引き取り、名を与え、静かに包摂してくれるがゆえに、書物はこの世に生を受ける訳だ。書くことは迂遠な砕かれた行為であり、書物は紐解かれなければ伝達しえないという固有の悲しみを纏っている。この悲しみのゆえに、書物は厚みをもつことになるのだろう。それゆえに書物はまた、絵画や音楽のような形式とは異なり、弁明と切り離すことができないのだろう。本書は悲しみの書ではないが、それでもやはり書物の形式からも運命からも逃れられる訳ではない。そのため、いずれ可能であれば加筆・改訂することを心に決め、これを弁明として筆を置くことにしたい。

 本書の体系は、汎用的な思考の枠組みとして、できる限り公共的に役立てられることを目指したものである。しかし、これは筆者の個人的な目標に過ぎないもので、振り返れば、本書はやはり極めて私的な性格の色濃い不完全な書物だと思う。ともあれ、この体系は、何ものにも囚われない自由な思考の枠組みとして構想された。もし本書が思考の手引きとして読まれ、読者にとって永い使用に耐えるものになるとすれば望外の喜びである。

 

 

 

1.本書で主役を演ずるのは、「概念」である。しかし、既存の分野(哲学、数学など)に属する具体的な概念を取り上げる訳ではなく、「概念一般」を扱う方法を示している。

【概念α、概念β、概念γ、概念δ、概念θ…】

このような諸概念のグループや系列についての考察が、殆どの内容を占めている。

2.

諸概念のグループや系列を扱うのは、主として「」

 

書物を読むことは、諸々の概念や枠組みが、流れ込んでくることでもある。

著者は、過去十数年の間に、この認識の布地を、概念的思考によってのみ幾千回、幾万回と覆すことを、ひたすら繰り返してきた人間である。認識の変化を引き起こすことは、私の経験から率直にいうと、極めて難しい。

 

 

■枠組みの集合と複数の枠組み間の変遷

枠組みと枠組み化

■枠組みの集合

本書の主要なテーマは、複数の枠組み間を自由に移行・切り替え・変遷していくことである。次のように複数の枠組みのグループがあるとしよう。【枠組みa、枠組みb、枠組みc、枠組みd、枠組みe…】

このような複数の枠組み間の移行や切り替えは、次のように書き表すことができる。

 

複数枠組み間の遷移:既知の枠組みα→未知の枠組みβ

 

このような複数の枠組み間を自在に変遷していくには、幾つかの条件がある。

①既知の枠組みαについて。思い込みを自覚し疑い外すこと。既知の枠組みを解体すること。

②未知の枠組みβについて。新しい枠組みを構築すること。未知の枠組みを再編成すること。

あいだを自在に移行することは、極めて困難なことだと言える。

・既知の枠組みから未知の枠組みへの移行・変遷

・問題解決プロセスでは、必要不可欠

・認識の変化、これは認識構造の解体&再編成によって、大きな認識の変容が起こる

しかし、それゆえに複数の枠組み間を移行することには、比類のない意義・価値がある。

 

 

■枠組みの分類――親和性

ここで枠組みを分類するため、新しい用語――親和性――を導入しておきたい。親和性とは、モナド的観点としての人間にとって、特定の枠組みが適合的であるかどうかを表す性質である。親和性には、高い/低いという二つの極があると考えてみよう。すると、ある認識主体S(特定の人物)が、ある特定の枠組みに接するとき、大きく2つの反応パターンが考えられる。

①親和性の高いパターン

認識主体Sは、特定の枠組みを受容する。この枠組みはK領域に遷移すると溶け込み、思考・認識・問題解決プロセスを規定し影響を及ぼす。

②親和性が低いパターン

認識主体Sは、特定の枠組みを拒絶する。この枠組みはK領域に遷移しても溶け込まず、①のパターンの枠組みとは反対の仕方で思考・認識・問題解決プロセスを規定し影響を及ぼす。

 

※親和性という用語は、枠組みを分類するために導入した、便宜的なものに過ぎない。

ここで親和性とは、どのように形成されるか、どのような仕組みがあるかは、問わない。

本書の目的は、複数の枠組み間の移行・切り替えのための体系・思考方法を提示することにある。

特定の認識主体にとっての枠組みとの親和性の詳細や仕組みの解明は、割愛する。

個体的な資質、価値観、学習や経験、バックボーン、帰属する共同体による影響など、

 

ここで二種類の枠組みAとBがあるとしよう。枠組みAは、Sにとって過去にK領域に溶け込んだ親和性の高いものであり、枠組みBは、Sにとって新しいが親和性が低いもので、しかも枠組みAとBは同時には両立できないものだと考えてみよう。

 

※もちろんこれはモデルに基づく新しい洞察を得るための仮定・実験であり、分かりやすい状況を想定したものなので、実際には既知の枠組みだからといって親和性が高いとは限らないし、未知の枠組みだから親和性が低いとも限らない。また当然ながら既知と未知の枠組みが反発せずに融和することもあるだろう。

まずこのケースにおける状況を整理すると、次のようになる。

 

ある認識主体Sにとって、既知の枠組みは過去に獲得されたものなので、それを構成する諸概念のグループの遷移度/明瞭度はある程度高い水準にあると考えられる。反対に、未知の枠組みはまだ獲得されていないので、それを構成する概念のグループの遷移度/明瞭度は相対的に低い水準にある。つまり、既知と未知の枠組みにおいて、遷移度/明瞭度は対照的な関係性にある。

 

 

このとき思い込みは、大きく分けて次のような二つの経路・パターンで作用すると考えられる。

順強化――既知の枠組みにおいて、思い込みは、自身の信念に合致する知識・情報に対して肯定的・受容的に働き、その枠組みをを強化するように機能する。さらに、ここでは暗黙的な枠組みへの確信を深めるような認識の変化が起こる。(確証バイアス的)

反強化――未知の枠組みに対して、思い込みは、自身の信念に反する知識・情報に対して排他的に働き、新しい枠組みを否定的・拒絶的(抵抗、不信など)するように機能する。そして、このとき認識の変容は起こらない。未知の枠組みを拒絶するとき、反動的に、既知の枠組みの正しさへの確信はさらに深いものになる(保守性バイアス的)

このように、思い込みは、親和性の高い枠組み/低い枠組みに対して異なる仕方で機能し、認識に二重の支配を及ぼすのである。

 

また第一の線分上において、このような概念量の変遷は、新しい枠組みの形成、あるいは複数の枠組み間のダイナミズム(融和、反発、統合、移行…)を伴うものでもある。

第三の線分では、新しい出来事が認識のなかで生起することによって、動点がシフトしていく。ただし、この認識という出来事は、量的なものに還元しえないから、これは便宜的な表現として理解してほしい。

ある認識主体が、新しい概念を獲得していくと、何が起きるだろうか?遷移度/明瞭度の機構を通じて、この過程を辿り確認してみよう。

このときある認識主体Sにとって、親和性の高い枠組みは、自然にSのK領域に溶け込み、広い意味で思考や認識の枠組みとして無意識的に活用されるだろう。ところが、親和性の低い枠組みは、SにとってのK領域に侵入するとしても完全に溶け込むことはなく、むしろ抵抗・反発を感じるまとまりとして意識されるだろう。

 

また実践的な思考の次元において、あるいは問題解決のプロセスにおいても、思い込みは複数の枠組み間の変遷を束縛するのである。

認識の変容は、第二の線分である遷移度/明瞭度の高まりに応じて、新しい出来事として生起してくる。ところが、Sにとって親和性が高い枠組みと低い枠組みが関わるとき、引き起こされる認識の変容は、まったく異なる感覚を伴うだろう。

 

この線分上の変化には、隠れた因子としての思い込みによる働きによって、しばしば強い抵抗が起こる。この抵抗すらも乗り越えられ、ある閾値を超えるとき、この遷移度/明瞭度の変化は、認識主体に新しい体験を齎すことになる。

過去に形成された因習的な認識の構成・構造はしばしば強い抵抗を示す。しかし、ある閾値を超えると、この旧い構造を維持していた概念同士の結び付きは組み替えられ、全体は瓦解し始めることになる。新しい関係性によって、暗がりの領域に光が照射され、隠れた因子としての思い込みは覆されることになる。こうして認識の変容が起こるのである。

 

これはポジティヴな側面を見ると、K領域を安定化させ、様々な認識が関わるプロセス全般に貢献すると考えられる。また、この思い込みや信念を伴う諸概念のグループは、思考プロセスにおいて運用できる思考の枠組みを形成するのである。そして、ここで重要な分岐が起こる。この認識主体Sにとって、思い込みや信念を伴う思考の枠組みは、何らかの意味や理由から親和性の程度(高い~低い)を考えられるだろう。

 

 

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