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ドゥルーズの言葉
…男であることの恥ずかしさから、人はものを書くのだろうか?
―――『批評と臨床』
フランスの哲学者ジル・ドゥルーズは、かつて著作の中でこのように述べたことがある。
現代を生きる多くの男性たちが、かりに何の脈絡もなく、予備的な知識も伝えられずにこの言葉に触れる機会を与えられたら、そのとき彼らが一体何を思うかを知りたいと思うことがある。
今のところ、こうしたテーマについて話せる男性の友人は私には一人もいないため、残念ながらこれまでに意見を聞くことはできていない。
…なるほど、私は、ただ「男性」であるだけで、既に女性に対する暴力性(不条理性)を持っていたのだ。
もう何年も前のことだが、ドゥルーズのこの一節を初めて目にしたとき、私はこのように思った。
男性の私には、「男性」として生きる以上この社会の中で女性に対して抱えている相対的な性質があり、それを深く認識している必要がある。
このことに気付くまでに、随分と時間が掛かってしまった。
最初の頃、私はこの自覚をただ個人的な体験として始めたのだが、その後、こうした認識は他の男性にも必要になるものなのかもしれない、と思うようになった。
女性との会話の中で、彼女たちが体験してきた「女性であるがゆえの経験」を聞くほど、そのように思えてくる。
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男であることの恥ずかしさ。
この言葉はひょっとすると、フェミニズム的な文脈のなかに置いた場合、女性と沈黙の深い結びつきを、一部の男性にはっきりと認識してもらうための警句の言葉として作用させることができるかもしれない。
楽観的過ぎるかもしれないが、少なくとも読む力、深く考える力をもつ男性には伝わる可能性が全くないことはないだろう。
なぜなら、「男であることの恥ずかしさ」という表現ほど、女性への差別的な扱いを続ける社会の実像を、はっきりと映し出すものはないからだ。
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ドゥルーズのこの言葉は、もともと哲学的あるいは文学的な行為としての「書くこと」について述べたもので、本来は言語哲学的に理解されるべきだと思われるが、
たとえ誤読の危険を犯してでも、このような時代にあっては、敢えてフェミニズムと近づけて読む方がいいように思われる。
ただし、女性たちが当事者として推進する思想や運動としてのフェミニズムではなく、男性が、決して本来的な当事者としては参与することができないものの、一人の社会の成員として向き合うべきフェミニズムと。
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女性と沈黙――書物
書くこと、あるいはその帰結としての書物は、沈黙と深い関係にある。
この静かな結びつきは、強いて言えば実存的な関係性だろう。
女性という性もまた、沈黙と深い関係にある。
これは女性における実存的な関係性と言えるかもしれないが、性差や女性蔑視に由来するものが大いに含まれるという意味で、社会的あるいは生物学的な関係性でもあるだろう。
ということは、書くことと女性、すなわち沈黙のなかで開始される、未来に向けての砕かれた表現行為と女性は、見えない糸によって繋がっていることになる。
この糸を見えるようにしなければならない。
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女性と声と沈黙
女性は「声」を持っていない。
それゆえに、女性は沈黙である、といえる。
この社会は、多くの女性たちを沈黙の方へと追いやってしまうのだが、これは未だ多くの男性が知らないことだと思われる。
女性は「声」を持ち合わせていない。
もちろん、話すことができないとか、主張することができない、などという意味では決してない。
実際、多くの女性たちが社会を変えるために行動を起こしているのだから。
そうではなく、女性は、女性であるがゆえに経験すること、悲しみ、身体的な苦痛、人生の不条理を、
他者(特に男性)に対して直接理解できる形で伝達できるような、魔法のような手段を持っていないのである。
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沈黙というのは、強いて言えば、容易にその存在をなかったことにされてしまうようなもののことである。
いやそれ以前に、最初からその存在を認識されないことの方が多いのかもしれない。
沈黙というのは、暴力的な声が響くまさにその瞬間に痛みを感じているもののことであり、言葉であれ何であれ、他者に何かを伝えることの不可能性と、その絶望を知っている人々のことである。
そういう意味で、女性は沈黙である、といえる。
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無理解――沈黙の裏側
女性の沈黙、他者による無理解「女性の沈黙」という表現は、誤解を生むものかもしれない。
本来「女性」というカテゴリーに帰属させて考えるべきことではないからだ。
「女性の沈黙」とは、本当は、女性にとっての他者からの「無理解」の裏返しといえる。
そのため、本来は「無理解」に焦点を当てる必要がある。
無理解といっても程度はあるだろう、と考える人々もいるかもしれない。
だが、無理解によって人は死ぬこともある。
※公共的な議論の場で明らかにされることは少ないだろうが、他者による、殆ど「殺人的な無理解」というのがあるのだ。
これは女性差別に限らず、あらゆる差別に共通の隠れたテーマだ。
(例えば、白人による黒人差別のように)
そして、こうした男性的または社会的な「無理解」を前にしたとき、女性は沈黙せざるを得ない。
なぜなら、その苦痛を伝達する手段を持ち合わせていないし、どう努力しても伝わらないことの方が多いからだ。
社会の中でこうした無理解に晒される女性たちの、女性であるがゆえの経験とは何だろう。
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女性たちが経験すること
女性が経験していることこの社会で生きるなかで、女性たちが経験しているのは、「不条理性」だと言える。
生理や身体的な周期の有無然り、性行為や出産に伴うリスク然り、恋愛におけるルッキズム然り、企業や社会における地位待遇の差異然り、痴漢やレイプのような性犯罪然り。
これは女性的な体験全体のなかでほんの一部に過ぎないかもしれない。
こうした不条理性は、当事者ではない人々の個人的な意識の俎上にはのぼらず、また様々な慣習や社会制度の中で透明化していて、
それゆえ個々の女性たちのなかに内面化されてしまう。
このことを考えるとき、男性(あるいは男性的社会)は、女性に対して「不条理性」としての暴力性という相対的な性質を持っている、ということになる。
このことを男性は、社会的なレベルや歴史的なスケールのレベルを意識しながら、特に「自分」という個人のレベルにおいてに深く自覚している必要があると思う。
※もちろん、どんな女性の中にも暴力性(他者に与える不条理性)は存在する。
しかし、女性に対する社会的暴力性は、何より性差や差別による歴史的な性格を含むもので、一般的に誰もが持ちうる暴力性とは区別しなければならない。
※そもそも、誰一人として、他者に対する暴力的な側面を持たずに生きていくことはできない。どんな赤ん坊も、母親のお腹を痛めずに生まれることはできないのだから、それだけですべての人間は、最初から、他者に痛みを与える性質としての、暴力性を有している。
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女性による行動と表現
今のネット社会では、個人の意見を表明するための物理的なハードルは殆どない。
言葉や文章だけでなく、音声や動画を配信することもできるようになった。
こうした状況のなかで、現代の女性たちが、SNSを通じて声を上げていることの意味をもっと考えなければならない。
彼女たちは、なぜそうしているのか?
彼女たちが経験していることを正しく理解するために、もっと静かにその声に耳を傾ける必要がある。
それが本質的にどんな意味を持つのかについて気付くために、かりにひとりの男性として過去に何を体験していようと、どういう意見や感情や論理を持っていたとしても、それを主張するのを一度止めて、声を抑えることが大事だろう。
身体的な体験や性差に由来する沈黙について、より深く知っているのは女性たちの方なのだから。
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女性とパートナーシップ
以前、友人が、フェミニズム的なテーマへの理解を共有できない彼氏と付き合っている、ということを教えてくれた。
その友人にとって身近な友人もまた、そうらしい。
人間は、誰しも自身の苦痛の体験を置き換えることによって、他者の痛みや苦しみを量ろうとする。
これは裏返せば、より深い苦痛を経験している者を、その相手以上の苦痛を経験していない者は、理解することができないことが多い、ということを意味する。
もちろん、苦痛を量的に数値化することなどできないし、できたとしても苦労しているほうが偉いなどと言いたい訳ではない。
ただ、お互いに苦痛を経験していたとしても、コミュニケーションの前提が一致し、それを理解し合うことができるような幸運なケースはあまりに少ない。
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女性は、女性であるがゆえの自らの体験を、他者に伝える術を持っていない。裏返せば、男性はそれを理解することができていない。
女性は、ひとり沈黙のなかに置かれてしまう。
他人の現場に遭遇したことがないので知らないが、近しい家族や、彼氏や婚約者のようなパートナーに対してでさえ、それは叶わないことの方が多いのだろう。
では、女性が沈黙であるということ、歴史的にみても、ずっと沈黙であるほかはなかったことを、男性(社会)に正しく理解させる方法は存在しないのだろうか?
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参照平面
ここまで読まれる見込みは殆どないかもしれないが、この問題について、私が提示できる解決方法の一つを紹介しておきたい。
この方法は、様々なシーンで実践的に用いることができるが、とても抽象的なレベルのもので、哲学的なアプローチだということをお断りしておく。
フェミニズムに関心がある人々に、私が提供できるのは、参照平面という新しい概念(考え方)だ。
参照平面とは、「無限に多様な概念&パースペクティヴの集合」というコンセプトを核とした概念である。
定義が少し難しいので「無数の光学レンズの集合体」をイメージしていただきたい。
光学的なレンズは、光を屈折させ、特定の箇所に焦点を結び、像を浮かび上がらせる。
「無数のレンズの集合体」としての参照平面は、光源としての、無限に多様な観点(パースペクティヴ)から光を照射し、考察対象の持つあらゆる側面(像)を浮かび上がらせることに主眼を置いた、光をモチーフとした概念だ。
つまり、この参照平面という概念を用いると、(「女性差別」「男性的社会」「フェミニズム」のように)我々が直面する問題や考察対象についてのあらゆる側面に光を当て、すべての像を認識することができる。
この参照平面という概念を用いると、多角的な視点から考えることが原理的なレベルで保証され、一切の見落としなく物事のあらゆる側面を把握することができ、把捉できないものは完全になくなるのである。
この参照平面の枠組みでは、「既知の観点(パースペクティヴ)」と「未知の観点(パースペクティヴ)」を分類して表示するため、
例えば、「女性差別」「女性」について参照平面を構成した場合、男性や社会が見落としている視点を表示でき、また多くの男性にとって見えない部分である女性的な体験に、光を当てることができる。
男性的な社会が、女性たちの沈痛な声に気付くための聴覚を持たない以上、視覚的にも抽象的なレベルでも、こうした概念を用いて表示するほかないだろう。
この社会はまだ、全く異なる身体や背景をもつ人々の間で、特に「男性/女性」のような対立があるとき、慎重に前提条件を整えたうえで相互に話し合うことができるような、思考/問題解決/コミュニケーションのツールを持ち合わせていない。
こうした難しいテーマをできる限り正当に扱うことができるようにするためには、このような概念は必要ではないかと思う。
※ただし、この思考ツールを話し合いの場で使うためには、参照平面という概念を双方が理解している必要がある。
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過去の女性と未来の女性
様々な立場を含んでいるフェミニズムという学問や運動が今後どうなるとしても、一般社会に生きる女性への差別は、ほかのテーマとは明確に区別して考えて、早急に是正する必要がある。
これは現代に生きる女性たちだけでなく、過去の時代に闘っていた女性たちや、未来の女性たちの立場のためにもそうだ。
そのために、女性たちの苦痛が存在し、社会はその苦痛について正しく理解する責任があることを認める必要がある。
だから、もっと女性の声に耳を傾けよう。
近しいパートナーがいるなら、彼女がいかなる沈黙であり、彼女が何を伝えようとしているのかを、理解できるようになろう。
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最後に
過去に、私は女性をテーマとした文章を書いた経験がなかった。
沈黙というものについて、これまで「女性」と結び付けてまとまった文章を書こうと考えたこともなかった。
私が経験したことがあるのは、種類の異なる要因によるもので、特に性差に由来する沈黙ではなかったからだ。
だがこの数年ほど、幾度か女性の友人とフェミニズム的なテーマについて話す機会があったことと、最近のSNSを状況を眺めていて感じたことから、
自分にも何か言えることがあるなら、文章を書こうと思うようになった。
沈黙は重要なテーマで、恐らくフェミニズムの根本問題と密接に関わるのではないかと思う。
この行為が意味を持つとは思っていないが、自分の中で一つの区切りとして書いておこうと思った。
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正直に言って、実生活において、私自身も他者に対する暴力性(不条理性)を持っていることを自覚している。
矛盾を抱えてもいるし、他者を傷つけずに生きることは無理なのだと思う。
だから、こうした文章を書くことは偽善だとも思うが、それもすべてわかったうえで、
少なくとも自分の思想上においては、差別を減らすための発信や活動をしようとしている女性が身近にいるとき、伴走できる存在でいたいと思う。
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※1.参照平面の基本的な定義や考え方に関心がある方は、こちらをご参考いただきたい。→https://mabuchi-gainen.com/conceptual-plane/
※2.フェミニズム的なテーマの多面性、複雑性を可視化する方法を知りたい方は、こちらをお読み頂きたい。うつ病をテーマとした記事だが、参照平面を活用するときのニュアンスをご理解いただけると思う。https://note.com/mabuuuchi/n/n4ed773589877
※3.「女性差別」について語られるとき、社会の中で見落とされている視点を可視化するというテーマについては、こちらをご参考いただきたい。https://note.com/mabuuuchi/n/n732e85ed9c21
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当記事の中で紹介している参照平面という概念について詳しく知りたい方、話し合いやプレゼンなどの場で導入したい方がいれば、こちらにメッセージを頂ければと思う。https://mabuchi-gainen.com/contact/
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