今日は、精神医学の様々な概念(カテゴリー)との向き合い方について、考えてみたいと思います。
現在、アメリカ精神医学会の最新の診断基準であるDSM-5には、様々な診断名が掲載されています。
精神疾患は22のカテゴリーに分類されていますが、例えば、
神経発達症群、統合失調症/双極性障害/抑うつ障害群
強迫症/PTSD/性別違和/パーソナリティ障害群など
こういうものが含まれています。
うつ病とか、ASDのようなものも、この中に入っています。
こうした精神医学的なカテゴリーは、この数十年で急増しているのですが、おそらく、このことについてお考えになったことがあるのではないでしょうか。
こうした概念・カテゴリーには、プラス面もあるのですが、反対にマイナス面も多く考えられます。
私は個人的に、概念の研究をしていることもあり、どうしてもこうした分野の概念の濫用や行き過ぎと思われるカテゴライズが気になってしまうし、どういった問題点があるのかもよく見えてしまいます。
今回は、この点について考えてみたいと思います。
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精神医学的カテゴリー概念のメリット
精神医学的なカテゴリーのメリットとして、次のものが挙げられます。
社会的なメリット
・共通言語として活用できる
・いわゆる当事者間の繋がりができやすい
・必要な人に治療や支援のサービスが届く可能性が高まる
etc…
個人的なメリット
・概念やカテゴリーを通じて自己理解が深まる
・医学的な治療を受けることができる
・診断を受けることで、社会的なサポートを受けられる可能性がある
・休養を取るきっかけになる
etc…
精神医学的カテゴリーのデメリット
精神医学的なカテゴリーの危険性、落とし穴、デメリットは本当に多く挙げることができます。
社会的レベルのデメリット
・「病気、障害」というコミュニケーションにおける記号が氾濫する
・差別、偏見、レッテル、誤解が生じる可能性がある
・精神医学的パラダイム以外の考え方・アプローチが見落とされる
・カテゴリーが過剰に増え過ぎて、社会の成員の殆どが病気・障害にカテゴライズされる
etc…
個人的レベルのデメリット
・「病気」「障害」などの枠組みから抜け出すのが難しくなる
・「医学的な治療」以外の選択肢を無意識に除外してしまう恐れがある。
・薬物療法による副作用、薬漬けの危険性
・自分や人生に本気で向き合わずに、痛みを伴わずに
治せる方法があるかもしれないという幻想が生まれる
etc…
特に、今のところ精神医学/医療の枠組み(パラダイム)の中には、精神疾患への根本的な解決方法がない、という困った事態があります。
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医療化
精神医学の在り方に注意を促している書籍を読むと、「医療化」「精神医学化」のような言葉を見掛けることがあります。
私がいま最も気になっているのは、この社会の中で「生きづらさの精神医学化」が起こっていることです。
私は、以前から「精神医学的パラダイム化」と呼んでいるのですが…
精神医学の「医療化」という現象は、病気や障害の概念が従来よりも広がり、それに伴って精神医学の領域も拡大していることを指します。
かつては特定の症状や障害に対する医学的アプローチが限定されていた精神医学も、現代ではその範囲が大幅に広がり、多様な症状や心理的特性に対する医学的介入が行われるようになりました。
この現象にはいくつかの要因が関与しています。まず、社会のストレスや生活の複雑化が増加し、それに伴って精神的な問題や心理的な負担を抱える人々が増加しています。
また、医学や科学の進歩により、精神疾患や心理的特性に関する理解が深まり、新たな病名や診断基準が提案されています。
さらに、インターネットやソーシャルメディアの普及により、情報の共有や意識の高まりが促進され、精神医学に対する関心やアクセスが容易になったことも要因の一つです。
精神医学の広がりには、いくつかのメリットがあります。
例えば、精神的な問題を抱える人々が適切な支援や治療を受ける機会が増えること、社会的なスティグマが減少する可能性があることなどが挙げられます。
しかし、同時に懸念される点もあります。
過度な医療化により、一般的な人間の経験や個性が病的視される可能性があり、過剰な医療介入や薬物療法の増加、医療費の負担増などの問題が浮上することがあります。
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最大の危険性
これは、私たち個人の人生レベルでの話なのですが、、、
こうした医学的カテゴリーに囚われ過ぎることのデメリットとして、私が最も危惧しているのは、
「私は〇〇という病気である」という考え方が強くなり過ぎると、人生の可能性を狭めてしまうことがある、
ということです。
人生のあらゆるシーンにおいて、
自分で決断を下すこと、意思決定すること、本気で向き合うこと、人生で何をしたいのかを考えること、新しい行動を起こすこと、
こうしたことが大事になると思いますが、
何よりも重要な、人生において「決断する力」を奪われていないか?
ここがどうしても気になってしまうのです。
だからこそ、専門家ではないものの、うつ(病)や生きづらさを直接体験したことがある一人の経験者として、
こうした専門分野の外側にも存在する大事なことを共有したいと思い、発信しています。
カテゴリー問題にどう対処するか?
精神医学的なカテゴリーは、諸々の現象を分類し、理解するうえで必要なものです。
しかし、「カテゴライズによって見えなくなってしまうもの」もやはりあると思うのです。
何が言いたいのか、というと、
心理学とか、精神医学・医療の枠組みのなかで使われるカテゴリーがすべてだと思ってしまうと、
自分のほかの側面が見えなくなってしまったり、人生の大きな可能性を信じられなくなってしまうのではないか
ということなんです。
では、こうした「医療化」とか過度なカテゴリーの問題に対して、我々はどのように対処すればいいでしょうか?
本来であれば、
私たちは自分のことを知るために、深く理解するために、
無限に多様な概念&観点(パースペクティヴ)から眺める必要があるとおもいます。
このようなとき【参照平面】という概念が役立ちます。
※詳細はこちら
【参照平面】とは、「無限に多様な概念&観点(パースペクティヴ)の集合」という考え方・コンセプトを核とした概念です。
すごく複雑なのですが、この概念を使えば、
精神医学的なカテゴリーを適用しつつも、他の観点(パースペクティヴ)があることを見落とさず、新しい考え方を想定したうえで、思考することができます。
この概念は、学問としての精神医学でも、病院の診療でも用いることができます。
私のメッセージ
自分自身に対して、【参照平面】を構築するとどうなるでしょうか?
光源としての、無限に多様な概念&観点(パースペクティヴ)から、自分という存在を照らすことになります。
私がメッセージとしてお伝えしたいのは、
もっと自由に思考しよう!
ということです。
特定の概念・カテゴリーで自分自身を判断せずに、もっと人生の可能性を広げられるように、無限に多様な観点から自分を眺めてみよう、ということですね。
最後に
恐らく、精神医学的な新しい概念、カテゴリーはこれからも増え続けるでしょう。
個々の概念にどういう意義(プラス面)があり、反対にどういうリスク・危険性(マイナス面)があるか検討することも重要ですが、
「人間を裁断する概念・カテゴリーは、常に一定の危険性を孕んでいる」という、概念そのものへの理解が重要ではないかと思います。
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