線文字B解読

 

 

 

事例2.暗号解読/線文字B

二十世紀初頭、クレタ島のクノッソス宮殿から多数の粘土板が発見された。そこには、それまで知られていなかった文字体系が刻まれており、発掘を指揮したアーサー・エヴァンズは、これらを大きく三種類――クレタ象形文字、線文字A、線文字B――に分類した。

線文字Bの解読は、長いあいだ難航した。研究の初期には、利用できる資料の多くがクノッソス出土の粘土板に限られており、文字の用例も比較材料も十分ではなかった。多くの研究者が解読を試みたものの、決定的な成果を得るには至らなかった。ところが、1939年にギリシア本土のピュロスで大量の線文字B粘土板が発見され、さらに戦後、それらを含む新たな資料が整理・公刊されると、研究に利用できる材料は大幅に増加した。

こうした資料の分析から、線文字Bは主として子音と母音の組み合わせを表す音節文字であり、これに物資や数量などを示す表意記号を組み合わせた文字体系であることが明らかになっていった。しかし、文字そのものの音価も、それが記録している言語も、なお不明のままだった。

その解読に重要な手がかりを与えた研究者の一人が、アメリカの言語学者アリス・コーバーだった。コーバーは、既知の言語をあてはめるような憶測を避け、粘土板に現れる記号や語形を統計的・構造的に分析した。その結果、線文字Bで記された言語には語形の変化、すなわち屈折が存在することを示し、同じ語の異なる形に対応すると考えられる記号の組み合わせを整理していった。彼女は記号どうしの関係を格子状に配置する「グリッド」を作成し、後の解読につながる重要な基礎を築いたのである。ただし、コーバー自身は1950年に亡くなっており、線文字Bの音価を最終的に解明するところまでは到達しなかった。

1950年代初頭、こうした研究の蓄積を受け継いだのが、イギリスの建築家であり言語研究者でもあったマイケル・ヴェントリスである。ヴェントリスは、エメット・ベネットによる資料の整理や統計的研究、そしてコーバーによる語形の比較や「グリッド」の分析を踏まえ、さらに独自の仮説を組み合わせながら、線文字Bの記号に対応する音価を次々と絞り込んでいった。

1952年、ヴェントリスは線文字Bがギリシア語を表記している可能性を公表し、その後、ジョン・チャドウィックらと共同で研究を進めた。そしてついに、線文字Bは、ギリシア語の古い方言形態、すなわち現在「ミケーネ・ギリシア語」と呼ばれる言語を記録した文字体系であることが明らかになった。

こうして線文字Bは解読され、紀元前二千年紀のミケーネ文明においてギリシア語がすでに書き記されていたことが明らかになったのである。

 

 

●1.線文字B解読問題のモデル化

ここでは、線文字B解読の問題をモデル化して話を進める。

この問題における、解読者にとっての認識領域では、次のような分布状態が存在する。

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U領域:音価(※正確には、記号と音価の対応関係)

K領域:線文字の記号

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線文字B文書は、記号としての線文字を、U領域からK領域に遷移させる。ところが、線文字B文書は、それ自体では直接に各記号の音価を教えてはくれない。各記号の音価は、依然として未知のままである。正確に言えば、記号と音価の対応関係は、U領域に属しているままである。

 

●2.解読格子・グリッド集合G➡●格子の切り替え可能性●解読作業=グリッドの切り替え

ここで解読格子の集合をGとする。Gの要素の数は膨大である、ただし有限でもある。線文字Bを解読できる「正しい格子」をG゜とおく。すると、G゜はGのなかに要素として含まれる(G゜∈G)ことになる。

 

➡問題の定式化:

問題①G゜は、いかにして特定しうるか?/問題②G゜は、合理的に導けるか否か?

➡問題③線文字B解読問題の本質的な条件は何か?

3.結論

【結論】解読格子Gの要素の切り替え可能性が保持されること、これが解読問題の最上位の解決条件だった。

【理由】→論証へ

既知の格子をGα、未知の格子をGβとする。すると解読作業/格子の切り替えは、Gα→Gβで表される。

(既に当て嵌め解読を試みたグリッド、未だ当て嵌めていない解読を試みていないグリッド)

解読者は、このような作業を要請される。

【結論】Gα→Gβの切り替え可能性を保持することこそが、線文字Bの最も重要な解読条件だった。、

4.論証

――理由①恣意性

●問題の所在、本当の、哲学的な問題の構造/●線文字Bの解読問題の特殊性――哲学的な観点から見て/●線文字Bの「記号―音価関係R」について。

この問題の最も重要なポイントのひとつは、次のことにある。すなわち、恣意性である。

この線文字Bには、原理的に見て、内部に、絶対的な正解としての「記号と音価の対応関係」は存在しないことにある。➡●結果、問題解決プロセスは、非直線的なものになる

さらに踏み込めば、本質的には次のことが問題である。

記号体系 K と、それが表象する音価・言語 U の対応関係そのものを決定する内部原理が存在しない。

恣意性とは何か。「それは記号体系と、それが表象する音価・言語との対応関係には、対応そのものを内部から必然的に決定する原理がない」そのうえで、解読作業がG゜を特定しうる条件を求めなければならない

「どの組み合わせが正しいか」を判定するための上位の認識枠組みが、問題の内部に最初から存在していないのである。

――理由②恣意性➡記号&音価関係の組み合わせ量の膨大さ➡確率的な低さ

記号&音価関係の組み合わせ量の膨大さ➡G゜特定の確率の低さ・困難さ

➡理由①②より、

「一発でG゜を特定することが困難なら、解読過程は単一の格子への固定ではなく、複数の格子を試行・比較・棄却・採用する探索過程として構成されなければならない」ということがわかる。

したがって、問題構造的に、Gα→Gβの切り替え可能性が重要になる

●思考実験――神のシャッフル(解読問題が孕む内部の原理的な本質的問題)

いま、神が無慈悲にも、線文字Bの記号と音価の関係をシャッフルしてしまったとしよう。すると、人類はふたたび、線文字B文書に刻まれた言語の意味を失ってしまう。われわれは、「正しい格子G゜」をすぐに特定できるだろうか?それは殆ど不可能だろう。線文字と音価の関係は絶対ではないのだから、それは直接割り出すことができないのである。それゆえ、かつてヴェントリスらが辿った道を、われわれは再び通らなければならず、解読格子(グリッド)を切り替え続けること余儀なくされるだろう。結局のところ、解読格子の切り替え可能性、複数のグリッド間の変遷可能性が維持・保持されることこそが、線文字Bの最上位の解読条件なのである。

「神がG゜をシャッフルし、われわれが再びG゜へ到達できるのはなぜか。その可能性を支えているのが、Gα→Gβという認識表現間の遷移可能性である」

●可能的世界(解読問題が孕む内部の原理的な本質的問題)

さらにこの文字体系が線文字Bであること、語形変化のような言語学的特徴をもつこと、すら重要ではない。

言語体系が変われば、言語学的特徴も変わるからだ。

神による変更が、可能的世界まで及ぶ場合、それでもモナド的観点にとって問題解決の可能性を保つ条件とは何か。複数の枠組み間の遷移可能性の保持による、認識構造の変容である。

 

遷移度/明瞭度の変遷で考えると、

①解読プロセスの非直線性;解読は最初から一本の直線的な経路を進むことができない。

②解読条件:

なぜなら、解読格子による解読作業が、部分的にうまくいくように見えても、不整合があると棄却しないといけない。したがって、遷移度/明瞭度の変遷は、直線的な増加では決してなく、不均一かつ数々の揺り戻しがある。

「単一の格子によって、多くの文書を解読可能になる」という限界的な閾値を超えなければならない

 

ここで遷移度/明瞭度の流動性、

解読格子・グリッド=枠組みとすると、複数枠組み間の変遷可能性の保持、が重要になることが分かる。

そして、枠組みの遷移こそ、認識の変化(この場合「線文字Bはミケーネ・ギリシャ語」という発見)をもたらす

 

 

●遷移度/明瞭度の変化として読むと…

線文字Bの解読史は、未知の文字体系という広大なU領域に対して、資料の増加と概念の獲得・関係化が進むことで、その内部構造の明瞭度が徐々に高まり、最終的に「ミケーネ・ギリシア語」という新しい認識へと大きく遷移した事例である。

この事例から分かるのは、未知の領域から既知の領域への認識の遷移が、単純に個々の情報を一つずつ獲得していく過程ではないということである。

線文字Bの解読では、まず粘土板上に現れる記号の形、出現位置、反復、語形など、個別的な情報が認識の対象となった。しかし、それらが蓄積され、相互に関係付けられることで、単独の記号や語形だけからは捉えられなかった、より高次の構造が次第に浮かび上がってきた。

ここでは、概念の獲得と概念どうしの関係の形成とが、切り離された出来事として起きているわけではない。新しい情報が加わることで既存の認識の配置が変化し、既存の概念どうしの関係が組み替えられることで、これまで認識できなかった別の構造が見えてくる。

そして、その新たに形成された構造が、さらに未知の対象を解釈するための手掛かりとなる。このように、認識の進展においては、個々の概念が増加することと、概念の関係性やそれを包摂する枠組みが形成されることとが、相互に関係しながら進行していく。

線文字Bの解読において、記号の音価が一つずつ明らかになったことだけが重要なのではない。それまで単なる記号の集合として現れていた対象が、語形、音価、言語構造、そして最終的には「ミケーネ・ギリシア語」という、より大きな認識のまとまりとして把握されるようになったことが重要なのである。

つまり、未知の領域から既知の領域への遷移は、個々の概念の移動だけでなく、概念を配置し、それらの関係を理解するための認識の構造そのものの変化を伴うことがある。

さらに重要なのは、こうして獲得された認識が、その時点で認識の終点になるわけではないということである。新たに得られた概念や関係性は、次に未知の対象を認識するための足場になる。ある未知のものが認識可能になることで、かえってそれまで見えていなかった別の未知のものが現れてくるのである。

この意味で、学問における認識の進展は、未知を既知へと変換する一方向的な過程としてではなく、既知となったものを足場として、未知の領域を新たに切り開いていく過程として捉えることができる。認識の進展とは、単に「知らないことが減る」ことではなく、「何が未知であるのかを、より明確に認識できるようになる」ことでもある。

●線文字B解読の意義――歴史的意義、哲学的意義

線文字Bの解読という業績は、それが解読しえたことに、古代の資料には、むろんそれ自体価値があるが、そのうえ謎の文書のまま終わらず読みうるものになったことに、最大の意義があるのだろうか?歴史的な観点から見れば、そうなのかもしれない。あるいは、最終的に解読者たちが正解に辿り着けたことが素晴らしいのだろうか?結果的には、確かにそうである。

確かにそうなのだが、既に見たとおり、線文字B解読の問題には、記号と音価の関係が決して必然的ではないという特殊性があった。当初、この未知なる文字体系は、なんの言語を記録したものであるかも不明だった。そのうえ、ありうる記号と音価の組み合わせの量は、計算上膨大な数にのぼる。つまり、「正しい格子G゜」を発見することは、解読条件として総当たり的な努力が要請される非常に困難なものだった。

●解読の業績の意義

このように考えると、この業績の見方は少し変わってくる。解読者たちの努力の素晴らしさは、最終的に答えに辿り着いたこともさることながら、この困難な問題を解決するために、解読格子を固定化せず切り替え続けたことにもある。

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●【bias論】《bias》は斜めの線ではない

線文字Bは、粘土板に刻まれた文字である。これは歴史上の実際の言語であり、解読者は、グリッドを当て嵌めたとき、それが読み解けないならば、この刻まれた文字の方が間違っているなどということはできない。この線文字Bに当て嵌める格子を切り替えるほかはない。つまり、この線文字Bは鏡であり、解読者の認識を反照する鏡である。

線文字Bは、《bias》の線であり、勝手にこちらが基準線を投影し、固定化して診断することが不可能な線である。それはモナド的観点の認識を反照し、教えてくれる。《bias》は斜めの線ではなく、本当は鏡なのである。

この問題の

《bias》は、斜めの線ではない。なぜなら、布地の傾きをわずかに変えるだけで、モナド的観点が首を傾げるだけで、それは傾きが変わるからであり、「真っすぐな線」にもなりえてしまうのである。

では、《bias》「bias」とは何であるのか。それは本当に「歪み・偏り」なのだろうか。「bias」とは、鏡である。認識を反照する鏡である。、

●解読格子・グリッド集合G

ここで、線文字Bの記号と音価との対応関係を組み合わせるための解読格子の集合を、Gとする。

Gの要素は、記号と音価との対応関係について考えられる、さまざまな解読格子である。これらは膨大な数に上るが、ここでは単純化のため、有限個の組み合わせとして考えることにする。

このとき、線文字Bを正しく解読できる格子を**G゜**とおけば、

G゜ ∈ G

と表現することができる。

したがって、解読問題のひとつの核心は、Gという膨大な解読格子の集合のなかから、G゜を特定できるかということになる。

しかし、ここで重要な問題が生じる。

G゜は、最初から「正しい格子」として認識されているわけではない。

解読者がG゜を知っているなら、そもそも解読問題は存在しない。問題なのは、未知のG゜を、Gのなかからどのように特定するかということである。

●問題の所在――「正しい格子」を決める上位の枠組み

線文字B解読問題の特殊性は、ここにある。

記号と音価の関係には、原理的に必然的な結びつきがない。記号それ自体を見ただけでは、「この記号にはこの音価が対応する」と決定することはできない。

つまり、問題の内部に、記号と音価の対応関係を一意に決定してくれる上位の認識枠組みが、最初から与えられているわけではない。

これは、単に「情報が足りない」という問題とは少し異なる。

問題なのは、何を正しい対応関係として採用するべきかを決定するための枠組みそのものが、まだ確定していないということである。

そのため、解読は最初から一本の直線的な経路を進むことができない。

ある対応関係を仮定し、それによって文書全体を読み、その結果から仮定を評価し、必要ならば別の対応関係へ移行する。つまり、解読そのものが、複数の解読格子のあいだを探索する運動になる。

●Gα→Gβ――解読格子の切り替え

ここで、解読者が現在採用している既知の格子をGα、まだ採用していない別の格子をGβとする。

すると、解読過程では、

Gα → Gβ

という格子間の遷移が生じる。

重要なのは、この遷移が単なる「別の答えを試す」という意味ではないことである。

Gαによって文書を解釈した結果、うまく説明できない部分が現れるなら、解読者はGαそのものを疑い、別の格子Gβへ移行することができなければならない。

したがって、線文字Bの解読において重要なのは、最初から正しいG゜を持っていることではない。

G゜が未知である状態においても、GαからGβへ、さらにGγへと、解読格子そのものを切り替え続けることができること。

ここに、解読問題の本質的な条件のひとつがある。

●「神のシャッフル」

このことを、少し極端な思考実験によって考えてみよう。

いま、神が無慈悲にも、線文字Bの記号と音価との対応関係をすべてシャッフルしてしまったとする。

すると、人類はふたたび、線文字B文書に刻まれた言語の意味を失う。

われわれは、そのとき「正しい格子G゜」をすぐに特定できるだろうか。

恐らく、それは極めて困難である。

なぜなら、記号と音価の関係には、それ自体として必然性がないからである。記号を見ただけでは、どの音価を対応させるべきなのかは決まらない。

その場合、われわれは、かつてヴェントリスらが辿ったように、さまざまな仮説を立て、文書との整合性を検討し、うまくいかなければ別の格子へ移行しなければならない。

つまり、

Gα → Gβ → Gγ → ……

という認識上の遷移を維持しながら、G゜を探索していくことになる。

ここで重要なのは、G゜そのものを最初から知っていることではなく、G゜を探索するために、Gの内部を自由に移動できることである。

したがって、線文字B解読問題を認識表現モデルとして捉えるなら、その最上位の条件のひとつは、

未知の正解G゜を直接保持することではなく、既知の格子Gαから未知の格子Gβへ切り替えられる可能性を保持することにある。

といえる。

そして、ここで初めて、この事例を遷移度/明瞭度の議論へ接続できる。

 

これは捨ててよい

 

線文字Bの解読において、記号の音価が一つずつ明らかになったことだけが重要なのではない。それまで単なる記号の集合として現れていた対象が、語形、音価、言語構造、そして最終的には「ミケーネ・ギリシア語」という、より大きな認識のまとまりとして把握されるようになったことが重要なのである。

つまり、未知の領域から既知の領域への遷移は、個々の概念の移動だけでなく、概念を配置し、それらの関係を理解するための認識の構造そのものの変化を伴うことがある。

さらに重要なのは、こうして獲得された認識が、その時点で認識の終点になるわけではないということである。新たに得られた概念や関係性は、次に未知の対象を認識するための足場になる。ある未知のものが認識可能になることで、かえってそれまで見えていなかった別の未知のものが現れてくるのである。

したがって、認識領域におけるK領域の拡大は、U領域の単純な縮小を意味するわけではない。むしろ、K領域に新しい概念や関係が加わることで、それまでとは異なる仕方でU領域が分節され、新しい問いや未知の対象が現れることがある。

この意味で、学問における認識の進展は、未知を既知へと変換する一方向的な過程としてではなく、既知となったものを足場として、未知の領域を新たに切り開いていく過程として捉えることができる。認識の進展とは、単に「知らないことが減る」ことではなく、「何が未知であるのかを、より明確に認識できるようになる」ことでもある。

 

結論

 

モナド的観点にとって、世界は問題として開かれる

認識構造が、複数の枠組み間で遷移し続ける可能性を保持すること

問題解決の条件とは、複数枠組み間における遷移可能性の保持であり、

自由に思考するとは、その帰結としての認識の変容を引き起こせる思考である。

 

 

 

数学的定式化へ

 

枠組み集合 G とその間の遷移関係 T を問題解決系の構成要素として明示的に定義し、あるクラスの問題について、解到達可能性が G 内の枠組み間遷移可能性に依存することを、一般定理として示す。

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