現在、私はオンライン・オフラインに限らず、あまり大きな影響力を持つことができていませんが、
これから地道に発信を続け、いつか一定の影響力を持つことができたら、教育の分野でどうしても達成したい目標があります。
それは、
この社会全体が、こどもたちや学生たちの多様な個性や才能を適切に評価し、彼らの力を健全な形で伸ばし発揮できるような環境・システム・制度を提供するように、微力ながら貢献することです。
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受験競争や教育課程など、現行の教育制度・文化に違和感や懐疑的な考えを抱いている人は少なくないと思います。
私は、
・彼らが度重なるテストや受験戦争によって過度なストレスに晒されたり、
・テストの点数や成績という狭い尺度によって「能力が高い/低い」(頭の良し悪し)とジャッジされたり
・学校に適応したり馴染むことができないことを理由に病気や障害と考えられたり、「不登校」や「引きこもり」のように「欠如による認識」をされたりと、
大人たちによって様々なレッテルを貼られる光景を見る度に、現状を変えるために何かできることはないかと考えざるを得ません。
いま、教育の分野で大事なことは、
こどもたちの学力を高めるため彼らに求め過ぎることでも、
学校という狭い箱のなかに彼らを無理やり押し入れることでもなく、
また学生たちを偏差値の高い大学に入学させることでもなく、
彼らの真の個性や才能を見出すことができる評価尺度を大人側が持つことではないでしょうか。
現状では、社会が注いでいるこどもたち・学生たちへの眼差しには、
とても恣意的に選択された科目のテストの点数や成績が前面に映っているばかりで、その評価尺度は、量的にも質的にも極めて貧困だと言わざるを得ません。
また、大人たちが最善で望ましいと信じている「既定のルート」から逸脱したこどもや学生に対し、
病気とか障害のような診断を下したり、「ふつう」と比較して無理に狭い世界に引き戻すことが重要なのではなく、
惰性的で既定のものではない、新しい未来へのルートを提示できる柔軟性を社会の側がもつことの方が重要だと思います。
結局、これは子供たち&学生たちが抱えている問題ではなく、大人の思考(考え方)の不自由さの問題だと思うのです。
もっとも、大人たちもまた子どもの頃/学生時代にそのような教育を受けて育っているから仕方ないのかもしれませんが…
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教育分野に影響を与えたいと言いましたが、直接的に制度云々をどうにかできるなどとはもちろん考えていません。
ただ、もしできることなら、
子供や学生たちを眺める大人たちの視点(パースペクティヴ)をもっと成長させ、深化させ、拡大するために、彼らの思考様式に一定のインパクトをもたらしたいのです。
そのために、私はこの十年ほど概念の研究に取り組んできました。
新しい概念(考え方)が、私が社会に提供できるものの唯一のものだからです。
例えば、以前に私は【参照平面】という概念を作りました。
これは「無限に多様な概念&観点(パースペクティヴ)の集合」という考え方をコンセプトとしたまったく新しい概念です。
抽象的で難しい考え方ですが、光を自由に照射し、屈折させるような、
「無限に多様な光学的なレンズの集合体」というのが正確なイメージです。
参照平面は、あらゆる「対象」や「問題」を
光源としての無限に多様な異なる概念&観点(パースペクティヴ)から照射し、眺めることを主眼におく、光をモチーフとした概念です。
この概念を用いれば、我々が直面する問題や思考対象のあらゆる側面を、余すことなく把捉することが可能です。
もし、この参照平面を用いて大人たちが子供たち・学生たちを眺めることができたら、どうでしょうか。
参照平面は、無限に多様な視点から「子供たち・学生たち」に光を当て、あらゆる像を浮かび上がらせるため、
彼らのもつ素晴らしい個性や才能、大きな人生の可能性を、大人たちが見出すことが可能になります。
そうすれば、これまでの思い込みやバイアスに満ちた判断を越えて、社会が彼らの真価を認めやすくなるのではないか、たとえわずかでもそのサポートができるのではないかと思います。
もちろん、この挑戦は無謀なものかもしれないし、膨大な時間が掛かると思いますが、私にできることを少しずつやりたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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