■思考様式の全体像
概念空間論の道具立ては、思考様式としてはごくわずかであり、片手で数えられる程しかない。
参照平面。K領域/U領域、遷移度/明瞭度(認識表現モデル)。未概念法。
しかし、思考に供する道具というのは、多ければよいという訳ではない。
これから扱うのは「無限に多様な概念の集合」という厄介な代物であるから、猶更である。
重要なのは、あらゆる概念を捌き切る技術を習得することなのである。

思考様式としての概念空間論は、大きく分けて
4種類の構成要素あるいは部分的なシステムから構成される。
②③④は単独で用いることもできるが、連動して用いることもできる。
概念空間論は全体としてシステムになっている。
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基本的対象:概念の集合
設計システム:参照平面
認識表現モデル:K領域/U領域、遷移度/明瞭度、概念関係式
方法論:未概念法
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第1章.概念空間論の哲学
1.思考の自由論
本節では、思考の自由さについて論じる。
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①定義:思考の自由さの定義
-⓪自覚性①認識領域②遷移度/明瞭度の変化③認識の変容、※補足➡問題解決、思い込みやパラダイム
②結論:無限に多様な概念の集合
-概念の集合
③
②方法:無限に多様な概念の集合
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■思考の自由さの定義と結論
概念空間論において、思考の自由さという表現には極めて明確な定義が与えられている。
思考の自由さとは、①認識領域における②遷移度/明瞭度の変化を通じて、⓪自覚的に新しい③認識の変容を引き起こしうる思考の状態および能力のことである。
この定義の意味は後で明らかにするが、
こうした意味での思考の自由さを、
概念空間論では、無限に多様な概念の集合によって実現する。
この意味で、物事について途方もなく自由な思考を展開するために、無限に多様な概念の集合が必要になる。
自由に思考する方法――無限に多様な概念の集合
概念空間論では、無限に多様な概念の集合を扱う。
遷移度は、無限に多様な概念の集合の分布を把握するための概念である。
明瞭度は、無限に多様な概念の集合による効果や影響を把握するための概念である。
遷移度とは、概念の集合が、認識領域にどのように分布しているか、
すなわち、未知の領域から既知の領域へ、どの程度シフトしているかを意味する。
明瞭度とは、概念の集合が、既知の領域と未知の領域を、どれ程明るく照らしているかを意味する。
なお、遷移度は、地理学的な尺度であり、明瞭度は、光学的な尺度である。
■⑤概念空間というモデル
概念空間論では、概念の集合(あるいは概念空間)というモデルを考える。
この哲学的なモデルが表現するのは、主に思考の可能性、ポテンシャルである。
概念空間論の主要な目的は、このモデルにおいて「無限に多様な概念の集合」を考えることで
原理的に思考の可能性を最大化することにある。
■概念空間モデルの特徴・性質
概念空間というモデルを、思考に影響を及ぼす概念のグループとして考えたとき、
次のような洞察が得られるだろう。
第一に、概念空間は、思考可能な領域の範囲に関わること(空間的限界➜思考可能領域の限界)
第二に、概念空間は、時間の経過により変遷しうること(時間的変化➜ダイナミズム)
概念空間によって思考の可能性の境界が引かれる、ということである。
それは思考しうる領域と思考しえない領域を隔て、画するものなのである。
実際に、これらの仮定は実態に即していると思われる。
概念がないのに思考はできない。
畢竟、それは問題解決の可否に、またその過程あるいは帰結としての
思考の檻、思考の不自由さ➡概念の集合、あるいは概念空間というモデルは、思考が抱える原理的な限界、
■定義の含意
思考の自由さとは、①認識領域における②遷移度/明瞭度の変化を通じて、⓪自覚的に新しい③認識の変容を引き起こしうる思考の状態および能力のことである。
この定義には、「自覚性」「認識領域」「遷移度/明瞭度」「認識の変容」などの概念が織り込まれている。
また、この定義は、これから示すような思考・認知・問題解決に関する幾つかのモデルに基くものである。
■⓪自覚性
自覚性は、思考が自由であるために、最も重要な思考の条件である。
裏返すと、あらゆる意味において、自覚的ではない思考は、決して自由であるとはいえない訳だ。
自覚性とは、つねに自分自身のもとへ帰還する思考の運動のことといえる。
つねに、思考は、すべての意義、帰結、影響を自覚できなければならない。
ただし、自覚的な思考や認識は、あらゆる思考や認識のなかで最も難しい。
■①認識領域
認識領域Rは、本書の第n章で詳細に扱う概念である。
認識領域とは、既知の領域/未知の領域(K領域/U領域)に区分され、あるいはこれらを合わせた領域全体である。
以下の図は、認識領域のイメージ図である。
認識領域Rは、認識に関係する何らかの要素から構成される。
この認識領域上において、あらゆる思考、認識の変化、問題解決のプロセスが起こると考えてほしい。
概念空間論では、この認識領域上において、認識に関与する要素――個々の認識、概念の集合、知覚情報など――の分布や影響を考える。
主として、無限に多様な概念の集合が配分される場として考えることが多い。

■認識のモデル化
概念空間論には、認識に関するモデルもある。
認識表現モデルという。第n章で詳細を描いている。
概念空間論では、思考の自由さを、主にこの対をなす2つの指標を用いて把握する。
物事について自由に思考することは、自覚的に、自身の認識領域における遷移度/明瞭度を変化させ、問題を解決し、認識の変容を引き起こすことなのである。
概念空間論の概念はすべて、地理学的あるいは光学的なモチーフに基いて設計されている。
上記の認識表現モデルは、地理学的あるいは光学的なモデルでもある。
改めて、先ほどの図を確認してみよう。
■②遷移度/明瞭度
遷移度/明瞭度は、本書の第n章において扱う。
遷移度/明瞭度とは、認識領域における概念の集合の分布や影響を表現する指標である。
遷移度――地理学的な尺度
遷移度とは、概念の集合が、既知の領域/未知の領域においてどのように分布しているかを表現する尺度である。
遷移度とは、認識に関係する要素が、認識領域上においてどのように分布しているかを表す指標である。
また未知の領域から既知の領域へ、その要素がどの程度遷移(シフト)しているかを意味するものでもある。
明瞭度――光学的な尺度
明瞭度とは、概念の集合が、既知の領域と未知の領域をどれほど光によって照らしているかを表現する尺度である。
また明瞭度とは、認識領域が、既知の領域と未知の領域が、新しい認識によって、どれ程明るく照らされているかを意味する尺度である。
※遷移度/明瞭度の指標を合わせて、思考の自由度という尺度を考えることもできる。
概念空間論では、自覚的に遷移度/明瞭度を高めることを重視する。
というのは、遷移度/明瞭度の変化によって、認識の変容が引き起こされるからである。

■③認識の変容
認識の変容は、①問題解決、②思考の檻(思い込みやパラダイム)というテーマと深く関係する。
問題解決、既存のパラダイムからの脱却に繋がるからである。
このモデルでは、思い込みは、遷移度/明瞭度の変化を妨げるものと考えられる。
認識の変容は、広義における問題解決の過程のなかで、あるいはその帰結として現れる。
自覚性➜「遷移度/明瞭度⇔懐疑、創造」➜認識の変化、問題解決、パラダイム変化(思い込み、信念、バイアスの解除を含む)
問題解決/認識の変容の事例
古代ギリシアの数学者・物理学者アルキメデスは、あるときシラクサ王からの任務により、贋金?を含む王冠を見抜くように指示された。幾日かの試行錯誤の期間を経て、ついにこの問題の解決方法を思いついたとき、彼は叫んだ。”εὕρηκα! ”(「エウレカ!」)
「わかった!」「なるほど!」「(問題が)解けた!」
■④問題解決/問題解決プロセスのモデル化

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・思い込み
思い込みには、面白くもあり、厄介でもあるような性質がある。
それは、思い込みは本来的に無意識的なものであり、普段は全く意識(自覚)することができない、というものである。※こうした思い込みは、恐らく機能的には認識の安定化に貢献したり、世界について認識するための内面的なモデルとして働く側面をもつだろう。
だが、思い込みは、やはり人間の思考の自由さを制限するものであることも明白である。
もしあらゆる思い込みを疑うことができれば、それはそのまま思考を解放することに繋がるだろう。
もし、あらゆる思い込みを、認識から完全に取り除くことができたら、どれほど自由に思考しうるだろうか?
概念空間論では、第n章で提示する認識表現モデルを用いて、思い込みを構造的に理解する。
・信念のモデル
思い込みを信念のリストを書き出す時間をとらないなら、それは賢明なこととは言えない。
信念については、次のような図式を用いると、重要な洞察を得ることができる。
まず、紙面上に時間軸tを引く。この線上において、ある問題やテーマに関する、現在の自身の認識をRとし、これから持ちうる未来の認識をR’としよう。問題やテーマは、どのようなものを選択してもよい。この時間軸t上において、未来の認識R’は少しずつ移動し、いずれは現在の認識Rの位置に到来することになる。もし来るべき認識R´が、現在の認識Rと完全に一致(R=R’)するとしたら、それは何を意味するだろうか。その問題やテーマについて、認識の深まりは一切起こらなかったことになる。
だが果たして、わずかにも変容しない信念というものが、本当に存在すると考えられるだろうか?
どのような問題やテーマについてであれ、もし数十年もの間、謙虚に学び続け、忍耐強く思索を続けたとしたら、いかなる信念も少なくとも部分的には変容しうるのではないだろうか。
「自分の考えは正しい」「自分の考え方は絶対に間違っていない」。
世界中で最も強固な信念の一つは、こうしたものである。しかし、ここでわれわれは立ち止まってみる必要がある。もし、このような信念を固く握りしめ続けたとしたら、どのような成長がありえるだろうか?
時間の経過に伴い、自身の考えが自然な変容を被ること/機会を完全に拒絶してしまうとしたら、より成熟した人格が形成されたり、より深化した考えを抱くことが期待できるだろうか?
要するに、われわれが自身の認識上の変化や成長を望むのであれば、現在の認識Rが含むであろう信念や思い込みを疑うことは、極めて合理的な選択なのである。
どのような考え方をもつにせよ、健全な懐疑をおこなう余地のないものは存在しない。
だが一方で、何の方策もなしに「思い込みを疑うことは重要である」といっても、自由に思考することが保証される訳ではないだろう。重要なのは、原理的なレベルで、思い込みを疑えるようにすること、信念を変容しうるものにすることであり、そのための体系的なシステムを構築することなのである。
■信念へのアプローチ
後述の通り、概念空間論には、原理的なレベルで、頑なな考え方を相対化したり、強固な信念を打ち破るための思考の方法論やシステムが備わっている。例えば、参照平面という概念を応用すると、「無限に多様な考え方の集合」という哲学的な集合を構成することができる。参照平面の枠組みにおいては、「現在の自分の考え方」は、無限に多様な考え方の集合のなかに置かれることになる。
この無限に多様な考え方の集合の中で、いったい誰が、自身の考え方のみが絶対的に正しいと主張しうるだろうか。いったいどのような考え方が、無限に多様な考え方の集合の中で、権威性をもちうるだろうか。
「絶対に間違っていない」と信じられるたった一つの考え方は、無限に多様な考え方の集合の中では、相対化されざるを得ない。つまり、原理的なレベルで、信念や思い込みが疑われることが保証されることになるのである。
・認知バイアス
概念空間論では、認知バイアスについては、主として参照平面という概念によって対処する。認知バイアスは、認知の固定状態が本質にあると解釈してよいだろう。参照平面とは、無限に多様な概念の集合から構成される平面である。この無数の概念は、各々が観点・考え方・枠組みなどを意味し、参照平面の枠組みでは、思考は無数の観点・考え方・枠組みを視野に収めながら、平面上を凄まじい速度で遷移していく。同時に、参照平面においては、概念の光学的な機能によって、認知バイアスの対象に対し、光源としての無限に多様な観点(パースペクティヴ)から光が照射され、無数の像が浮かび上がることになる。参照平面のシステムのなかでは、認知バイアスの問題は、原理的なレベルで解決されるのである。
・パラダイム
パラダイムとは、第n章で述べる通り、信念体系を伴う概念空間と定義される。
パラダイムは、時代的な諸々の条件や信念を基盤とするだけでなく、複数の概念の結び付きも含んでいる。
パラダイムとは、時代的な制約を伴うものであり、疑うことが最も困難な枠組みと言えるだろう。
※天動説から地動説への転換は、最もよく知られる典型的な事例である。
歴史――パラダイム・シフト(天動説➡地動説、世界史の事例として)
概念空間論では、パラダイムのような困難な信念についての有効なアプローチも存在する。
しばしば、概念空間論では、概念空間の歴史的な変遷を考えるが、これはパラダイムの問題であるとも言える。
パラダイム・シフトとは、概念空間に劇的な変容が起こることなのである。
概念空間論では、概念空間のダイナミズムを重視するため、パラダイムは揺さぶりを掛けられることになる。
②未概念法
未概念法という方法論では、パラダイムというものを一層自由に扱う。
まず未概念法では、あらゆる概念は未概念、すなわち、過渡的な生成状態にある変容性の概念と見做され、溶解してしまう。パラダイムを構成するすべての概念は、溶け合い、輪郭を失い、発散し、相互に接続し合い、至る所で新しい概念へと生まれ変わるのである。
また未概念法では、無限に多様な思考モデルの集合を考えることで問題解決を図ることが多い。
つまり、無限に多様なパラダイムの集合を通じて思考するのである。
このような方法論において、絶対的なパラダイムは、無限に多様なパラダイムの集合のなかで相対化され、パラダイムへの信仰は、たとえそれがどれほど敬虔なものだとしても、原理的に少なくとも一度は疑われることが保証されるのである。
現代
古代ギリシア時代、天動説が提唱されて以来、ヨーロッパでは1000年以上もの間信じられ続けてきた。
パラダイムが1000年もの間疑いえないものであったことは、極めて重い事実であり、重く受け止めるべきことである。
現代において、歴史的な囚われから免れていると考える者は決して少なくない。
しかし、それを自覚し、疑うことが極めて困難であること、これこそがまさにパラダイムの性質なのである。
したがって、まだその正しさや変化の可能性を全く疑われたことがないパラダイムが存在すると仮定することは極めて重要である。
歴史の教訓から学ぶならば、現代的な枠組みであれど疑ってはならない理由が存在するだろうか?
われわれの時代から、さらに数十世紀以上もの時が経過したとき、われわれが知るパラダイムは本当にまだ維持されているのだろうか。現在信じられているパラダイムがまだ続いているという、その保証はどこにあるだろうか?
さしあたりあらゆる思い込みに囚われない思考であるといえるだろう。
裏返せば、何らかの思い込みに囚われ、それを疑えないならば、自由な思考とは到底言えない訳である。
自由な思考とは、同様に、パラダイムの問題からも完全に開放された思考のことである、といえるだろう。
一般化すると、思考が十分に自由であると言いうる条件のひとつは、
無数のパラダイム間を自在に遷移しうることといえよう。
もし既存のパラダイム内に囚われていることを自覚しえず、また新しいパラダイムを創出して
それは求める次元に達していないのである。
このような意味での思考の自由さを実現するためには、新しい思考のスタイルが要請される。
原理的な次元において、思考には様々な限界や制約が存在する。(思考の檻)
思考は、檻に囚われているのである。
この思考における不自由さは、様々な形で現れ、様々な名を与えられているが、
一般化すると、概念空間の限界として読むことができる。
この体系が無限に多様な概念の集合を考えるのは、この限界を超えるためでもある。
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補足:
思考の自由さとは、
●※抽象的に述べるなら、思考の自由さとは、思考にとって原理的に与えられている限りのすべての可能性を実現しうること、と解釈することができる。というのも、原理的なレベルで、本来的に思考にとって可能であることならば、何らかの方法論やアプローチによってそれは実現できるはずだからである。反対に、原理的なレベルで思考にとって不可能なことは、どのような方法によっても実現できないだろう。
※人類の歴史のなかで成立した既存の諸々の学問分野を見れば、これは明らかだろう。人間の思考にとって、そもそも新しい学問を構築することが原理的に不可能であるなら、それは決して発展し得なかっただろう。理論を構築することが、原理的な次元において、思考の可能性のなかに含まれていたがゆえに、それは創造されたのである。
●実践的な意味では、意図的かつ連続的にこうした「エウレカの瞬間」を起こすことができるほど自由な、思考の運動の可能性を指す。
●これは技術的な問題として捉えることもできる。思考の自由さとは、自覚的に認識の変容を起こすことができる状態や能力を意味するのである。
※概念空間論の全体、あるいはこの体系の部分的なシステムは、まさにこの認識の変容を起こすためのシステムとして設計されている。
●思考の自由さとは、問題を解決に至らしめるもの、問題解決の確立や可能性に関係するもの、と考えることもできる。
というのは、問題解決というのは、当の問題を解くために必要な十分な思考の自由さがなければ不可能だからだ。
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■■■思考モデル論■■■
■モデルの価値
モデルの価値を評価する方法の一つは、効率性と考えられる。
最小の要素と仮定からなる枠組みで、より多くの事象とパターンを説明するほどよい訳だ。
その意味で、このモデルは極めて多くの事象への説明体系として機能する。
思考の自由さ
※モデルは抽象的なパターンの組み合わせにより構成され、
様々な可能性を潜在的に内包するため、無数の個別的なケースをよく説明してくれる。
※モデル論:まず準備として、3つのモデルを考える。
①概念の集合あるいは概念空間というモデル、②認識基本モデル/表現モデル、③問題解決プロセスのモデル
③のモデルは、第一のモデルと第二のモデルを組み合わせたものである。


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